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2013.11/17 [Sun]
八重の桜 第46回「駆け落ち」 あらすじ&感想 ~身勝手な人や。けど、誰より正直な人や~
[八重の桜] ブログ村キーワード

NHK大河ドラマ 八重の桜 第46回「駆け落ち」
「八重の桜」第46回の視聴率は13・7%。久栄と徳富蘆花(健次郎)の駆け落ち騒動。兄・蘇峰にコンプレックスを抱く蘆花に、姉・みねと自分を比べ自嘲する、どこか似たもの同士の、はじけとぶ明治の青春。かくして、ふたりに訪れた結末は・・・?そして二人を見守る八重は? 復興にむけて頑張る福島と東北に熱くエールを放つ大河ドラマ”八重の桜”、共に見守りつつ、愛の桜前線を拡げていきたいですね!
NHK総合20:00~20:45 八重の桜HP http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/

八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA
八重の桜 第46回 あらすじ
母・時栄(谷村美月)が覚馬と離縁し、山本家を出ていって以来、ふさぎ込む久栄(門脇麦)。伊勢時雄が同志社の教師となり、みねが里帰りして平馬を出産し、皆が喜びを分かち合う中、久栄は孤独だった。八重(綾瀬はるか)は、母親代わりになろうと久栄を気遣うが、彼女はなかなか心を開こうとしない。
そんななか、久栄がただひとり心を許したのが徳富猪一郎(中村蒼)の弟・健次郎(太賀)だった。優秀な兄といつも比較され肩身の狭い思いをしている健次郎と、山本家に居心地の悪さを感じている久栄。悩みを打ち明け合ううちに、ふたりはウマがあった。
健次郎は徳富猪一郎(蘇峰)の弟で、伊勢にはいとこにあたる。猪一郎と健次郎の兄弟は、どちらも活字に携わっていて、兄は民友社を設立し、日本初の総合雑誌で、のちの明治のジャーナリズムを牽引する『国民の友』を創刊し、一方の弟は『同志社文学雑誌』に小説を掲載していた。
平馬が生まれて間もないある日、体調が すぐれずにいたみねが急逝する。父である覚馬はさぞ悔しかったろうと呟き、祖母の佐久は何故神様は自分を連れてってくれないんだと嘆く。八重は、久栄に形見分けの万年筆を手渡す。「みねの分も幸せになんねえどな」つらい運命を背負った異母妹の久栄をくれぐれもたのむと、八重は みねから託されていたのだ。しかし久栄は「母を追い出した人に頼るわけにはいかへん」と八重に背を向ける。山本家の跡取り娘でありながら、不貞な母親の娘だと周囲の好奇の目にさらされていた久栄の苦悩を、健次郎は優しく包み込んだ。久栄の母を人間らしい人だ、と表現し、決して蔑まない健次郎に、久栄もまた心を寄せ、結婚を意識し合うようになっていた。
それからほどなくして、今度は風邪をこじらせていた民治が亡くなり、襄は父の形見のパイプを口に含んで深い悲しみに沈む。久栄のことで手を焼く八重もまた「子は親の思う通りにならんということを心しておきなさい」という民治の深い言葉を胸に刻むのだった。
同年、初夏の日差しが眩しい6月、同志社内に久栄と健次郎が交際しているという噂が広まる。八重が二人を問いただすと、久栄は噂でなく結婚を前提にしたまことの付き合いだという。しかし健次郎の返事は曖昧で、この軟弱な若者にとても久栄を任せるわけにはいかない。「明治の生まれか・・・」覚馬は苦笑いし、八重は「最近の若いもんは・・」と覚馬の若い頃に比べて情けないと溜息をつく。そんな八重を 佐久は、お前もいつの間にかそんなことを言う年になったかと笑うのだった。
その夏、八重は襄と北海道の函館に旅に出る。襄がアメリカに向け密航した港だ。函館にはまた、会津で姉妹のように過ごした日向ユキが暮らしていた。ユキは、幕末の動乱を命からがら逃げ延び、、札幌で薩摩出身の内藤兼備と出会い、一族の反対を押し切って夫婦になったという。ユキの息子はもう十代半ば、久栄と寸分変わらない。「どうしたら母親らしくなれんのか・・・」凹む八重に、ユキは「壁にぶつかっても自分の決めた道を行くのが八重姉さまだ・・・迷った時は、母親らしくではなくて、姉様らしくやってみたらどうだべ」と助言し、八重は涙まじりに笑うのだった。
秋の新学期が始まってまもなく、健次郎と久栄が忽然と姿を消した。八重ははたと思い当った。健次郎と久栄は、示し合わせて東京にいくつもりだ。ならば、出発の前に久栄はみねの墓に参るはず・・・果たして、久栄はそこに居た。駆け落ちの展開に,猛然と待ったをかける八重。小説で食べてゆく自信があんのかという八重に、健次郎は「食べるために小説書くとじゃなか、小説書くために食べると」と一気に本音を吐露し、そんな健次郎でも久栄はついていくという。八重は兜を脱いで、「わかった、苦労と不幸は違う・・・久栄を必ず幸せにしてくなんしょ」と二人の味方になると誓う。しかし、ほどなくして健次郎は久栄を京に残し一人で東京にたってしまう。手紙には、自分の身勝手さを恥じいる謝罪が綴られ、末尾に「徳富蘆花」とペンネームが書かれていた。
身勝手な人・・・だけど正直な人、と、久栄はひとしきり泣いて、部屋を出ていく。自分が傷つくより、ずっと辛い、という八重に、佐久は「母親はみんなそうだ。はねっかえりの娘を持つと苦労すんだ」と笑う。佐久の言葉が八重の胸に染みいった。
・・・ということで、次回は第47話「残された時間」です。
八重の桜 第46回 名シーン
<みねの里帰り 同志社の教師となった夫の伊勢>
みねと伊勢時雄の間に息子の平馬が誕生し・・・

徳富猪一郎、快進撃 民友社を設立

猪一郎、「国民の友」創刊

あね様!

<みねの急逝>
みね・・・悔しかったろう

あのむごい戦を生き延びたというのに。平馬が生まれて、やっとこれからというときに・・・

なじょして・・神様がいるなら私の命を持っていってくなんしょ・・・ああ
<久栄をくれぐれも頼むとの、みねの遺志を守ろうとする八重>
っは・・母を追い出した人に頼るわけにはいかへん

久栄さんの母上は・・人間らしか人と思う

うちも東京について行く!うち、おばさまが山本家から追い出した女子の娘や。

厄介払いできてええやないの・・・うちも追い出してください
<その夏、襄と函館に旅した八重、二十年ぶりのユキとの再会>
ユキさん・・・

八重さん、元気だった!?

ゆきさんこそ・・・
<駆け落ちの現場にかけつけた八重>
これから二人で東京へ行きます

八重「小説で食べていく自信があんのか?」

食べるために小説ば書いてるんじゃなか・・小説ば書くために食べると!
久栄、お前が決めた道なら応援する。ただ駆け落ちはだめだ・・里帰りができなくなる。

おばさま・・・
<一人、東京へと発った健次郎>
きっとこうなると思っていた。身勝手な人や・・・けど、誰よりも正直な人や。

八重「自分が傷つくより、ずっとつれえ・・」

母親はみんなそうだ・・わがったか?はねっかえりの娘を持つと苦労すんだ・・・
八重の桜、こんなところが好き!感想
「艱難の山、苦痛の谷、手をたずさえて渡らん、君が将来の夫より 我が未来の妻へ」
これが明治のラブレター。
久栄たちの恋は とてもプラトニックで、文学的・・・!
清少納言やトルストイを引用して愛や道徳を語るなんて、なんて古式ゆかしくアカデミックでしょう。
言われてみれば、小説ができたのはこの頃ですね。
今でこそ当たり前の小説、徳富や久栄が恋を語らっていたこの頃こそ、近代文学の夜明けだったのですね。
しかし、「不貞を働いた母の娘だと一生言われる」と気にしながら、
ズカズカ男子校に入って行って健次郎にトルストイの話をさせる、どこか空気が読めない久栄・・・
いえ、それほどにあの家を出たかったのかもしれない。
人になんと言われようと自分自身で考え、駆け落ちを決意し、
新しい人生を切り開こうとした一本気な久栄、どこか八重に似ています。
血でしょうか。度胸もあります。
彼女もまた、明治生まれのハンサムウーマンだったのかもしれません。
そんな古風なふたりでも、周りのひとは新人類のように目を丸くするのだから、
この平成の世の男女のありさまを見たら、心臓がとまってしまうかもですね。
「明治の生まれか・・・」
と笑う覚馬の笑いは「戦争を知らない 子供たちさ♪」
という歌を思い出させます。
もしくは
「平成生まれか・・・」と笑いながら
新入社員の恋愛相談を受けるオジサン上司のような感覚なのでしょうか。
また、「近頃の若いもんは」・・・という、言葉を口にしたらもう年寄り、と言われているのは、
明治も平成も変わらないのですね。思わず笑ってしまいました。
あのうざったい言葉を耳にするたび、あ~あ、トシは取りたくないもんだなぁと思っていた自分が、
いつしかあの言葉を口にしているこの頃、危ない、危ない・・・
しかし、賢さが服を着て歩いてるような、あの佐久母さんですら
「近頃の若いもんは」と言われた時代があるそうですから、
どんな時代も”世の中が変わり続けることが、変わらない”という摂理をひしと感じるシーンでした。
文明開化の象徴みたいな牛鍋を食べながら
「小説など、低俗な娯楽にうつつをにかすな!」と見下げるもうひとりの健次郎の真逆(まギャク)の
反応が洒落になっておかしかったですね。
いまや学問の世界でエリート昇進まっしぐらの東大教授・健次郎に古臭さを感じてしまうとは・・・
昭和の中ごろまで漫画(コミックス)に夢中になる若者を見下していた年配者のリアクションにも似て
どこか滑稽です。
今は、漫画は市民権を得、ひとつの文化として確立しているし
歴史でも小説でもコミック化されたのを覚えたほうが利口、なんていう大人も少なくない。
本当に、時代ってどんどん変わっていく。
それでも、未来永劫変わらないもある。
それは、母の愛…親子の愛ではないでしょうか。
いくつになっても、佐久にとっては八重は 可愛いはねっかえり娘に違いない。
また、愛があるからこそ、覚馬の台詞どおり、みねは父が「憎かったろう」し、
久栄はいまや母である八重に悪態をつけるわけで、
5000人の同志社の「子ども達」を育てた八重でも、たった一人の姪っ子に思い悩んでしまう。
テレビを見終わって、食事の後片付けをしながら、お風呂に入って、ずっと考えていました。
あのとき、八重が反対しなければ幸せになれたかもしれない・・・
当初、反対しに押しかけていったことで、結局二人を別れさせることになって、
久栄が恋煩いで亡くなってしまったら、八重が悪役になってしまう?
いや、違う。
あの羅刹のような環境から救い出してくれる王子様に恋してた久栄と、
机上の恋に恋していたような健次郎が、駆け落ちで幸せになれたかどうか、甚だ、疑問。
軟弱なのに、そんな人間の弱さを強く優しく肯定する健次郎の確信に満ちた言葉に、
「んだな、不幸と苦労は違う」と、悟りをみたような八重とのやりとりは、まさに禅問答のようで
いくさ以上に緊張しました。
そこでまた、ひっくり返る、あまのじゃくな美雨。
でも、たとえ破局がきても、何もしない人生より、自分で選び行動した結果としての破局なら
後悔は残らなかったはず・・・
私が八重だったら、あのときあの状況で、あの二人に何と言うだろう。
いまもまだ、答えは出ていません。
八重の桜 第46回 キャスティング❤今日のフィーチャー
~ 久栄と徳富蘆花(健次郎)うたかたの恋2 ~
母・時栄が家を出てから、すっかり元気をなくした久栄。八重は母親代わりになろうと奮闘しますが、溝は深まるばかりでしたね。そんななか起こる久栄の駆け落ち騒動・・・久栄は、小説家をめざす徳富健次郎(徳冨蘆花)と共に内緒で東京に向かおうとしましたが、待っていたのは破局でした。それも、二度と会えない永(なが)の別れ・・・健次郎のなかで永遠の ”忘れえぬ人”となった時栄との うたかたの恋を、のちの蘆花は 告白のように 自伝的小説「黒い眼と茶色の目」で綴っています。
参照http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1132.html
<徳富健次郎(蘆花)・ちょっとネタバレ紹介>
兄と同じ同志社学校に入学するも、山本久栄への失恋により中退。兄の経営する民友社に入り、翻訳などい従事した。「国民新聞」に連載した小説「不如帰」(ほととぎす)が好評を博し、文筆家としての名声を得る。のち、兄との不和により民友社と決別。エルサレム巡礼、トルストイ訪問を経て半農生活を開始。久栄との恋愛を描いた「黒い眼と茶色の目」など、数々の作品を残した。

太賀(たいが)
1993年生まれ、東京出身。出演作に映画「桐島、部活やめるってよ」、ドラマ「黒の女教師」「潜入探偵トカゲ」、舞台「八犬伝」など。NHKでは、「あまちゃん」、大河ドラマ「風林火山」「天地人」「江」などに出演。
NHKのHPでも語られていますが、同志社に通うこの一見軟弱な学生、健次郎クン、後に、小説『不如帰(ほととぎす)』を執筆した有名な文豪・徳冨蘆花として名を馳せるのですから、こうして呼び捨てにしたり、女々しいの軟弱だのと話のタネにしていいのだろうかと、はたとボードを打つ手が止まってしまうことがあります。八重の桜では、こんなふうに あまりにさりげなく明治の大人物がポンポン出てくるので、つい友達のように呼び捨てにしてしまい反省。(笑)
以下、ホムペより
さて、この徳冨蘆花という名前には、彼のある思いが隠されているんです。
「徳冨蘆花」というのは、彼が小説を書くときのペンネーム。
この名前、よ~く見てみると...
徳富の「富」の字が、ワ冠の「冨」になっています。
これには諸説あり、一説には優秀な兄・猪一郎に劣等感をいただいていた健次郎が、兄と自分は違うということを示すためにあえて「冨」の字にしたといわれています。
また、「蘆花」という名前についても、故郷の熊本にある雄大な山・阿蘇山の「蘇」を付けたという兄とは対照的に、控えめに咲く「蘆(アシ)※の花」を名前にした健次郎。
※アシ...水辺に自生するイネ科の植物。夏から秋にかけ、穂に紫色の小花をたくさんつける
その由来は、清少納言の随筆にある「蘆の花は見どころとてもなく」という言葉からきており、健次郎は「蘆の花という見どころのない花だからこそ、自分は愛している」との意味合いを込めて「蘆花」という名を付けたといいます。
まさに、対立していた兄とは、対照的なネーミングです。
出来のいいお兄ちゃんに負けまいと、必死に小説家をめざす健次郎でした。
<山本久栄・ちょっとネタバレ紹介>
覚馬と時栄の娘。覚馬が東北より京都に呼び寄せた佐久、八重、みねと、幼いころからともに暮らし、かわいがられて育つ。母・時栄の不義の噂が原因で、両親は離縁。以後、時栄のいない山本家で育つ。学問に励む姿は父親ゆずりで、のちに同志社女学校に入学する。在学中に、同志社英学校に通っていた徳富健次郎(のちの徳富蘆花)と恋仲となるが、ふたりが結はれることはなかった。同志社女学校卒業後、神戸英和女学校に学ぶが、覚馬が亡くなった翌年にその短い生涯を終えた。

門脇麦(かどわき むぎ)
1992年生まれ、東京都出身。CM出演で注目をあび、舞台「ストリッパー物語」などに出演。映画「愛の渦」が2014年に公開予定。NHKでは、ドラマ「第二楽章」など、大河ドラマは初出演。
※覚馬のふたりの娘 みねと久栄の数奇な生涯
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1137.html
八重の桜 第46回
あ
ら
かると
~ちょっと気になる健次郎(徳富蘆花)の小説「不如帰;ほととぎす」~
戦争が引き裂いた夫婦と、戦争が巡り合わせた夫婦の間に、それぞれ生まれ育った二人の娘。
この娘達の短い生涯を思うとき、戦争が父覚馬に起こした運命のいたずらと ふたりの姉妹の辿った数奇な一生を、深く考えさせずにおきません。
健次郎の言葉通り、弱さもふがいなさも全てひっくるめて、本当の人間らしさを紙面に綴ったことで世に出た山本家のスキャンダル・・・自分が自分であるために、そうせざるを得なかった健次郎が、近代文学の幕を開けた明治の大文豪として謳われているのに、この世の無情を感じてなりません。
そんな人間の本質を描きたかった蘆花の、ちょっと気になる小説『不如帰(ほととぎす)』。
明治30年代の大ヒット小説です。
不治の病にかかったヒロイン浪子が、息子を溺愛する姑にいじめられ、最後には仲を引き裂かれてしまうという、まるで昼ドラのようなこの物語に、実はモデルとなった一家があったのです。
その家とは・・・なんと、八重の桜でもおなじみ、山川大蔵・健次郎の妹、咲(捨松)の嫁いだ大山家だという不思議。徳富蘆花には、会津人の血を引く女性と何か確執があるのでしょうか・・・

『不如帰』の逸話 大山捨松のウィキペディアより
大山巌は先妻との間に娘が3人いた。長女の信子は結核のため20歳で早世したが、彼女をモデルとして徳冨蘆花が書いた小説が、「あああ、人間はなぜ死ぬのでしょう! 生きたいわ! 千年も万年も生きたいわ!」の名セリフが当時の流行語にまでなったベストセラー『不如歸』である。
小説の中で主人公の浪子は結核のため幸せな結婚生活を引き裂かれた挙げ句、実家に戻ると今度は非情冷徹な継母によって離れに押し込まれ、寂しくはかない生涯を終える。ところがこの小説に描かれた継母が捨松の実像と信じた読者の中には彼女に嫌悪感を抱く者が多く、誹謗中傷の言葉を連ねた匿名の投書を受け取ることすらあった。捨松は晩年までそうした風評に悩んでいたという。
実際は小説とはまったく逆で、信子の発病後、離縁を一方的に申し入れてきたのは夫の三島彌太郎とその母で、悩む捨松を見るに見かねた津田梅子は三島家に乗り込んで姑に猛抗議している。看護婦の資格を活かし親身になって信子の看護をしたのも捨松自身で、信子のためにわざわざ離れを建てさせたのも、信子が伝染病持ちであることに気兼ねせずに自宅で落ち着いて療養に専念できるようにとの思いやりからだった。巌が日清戦争の戦地から戻ると、信子の小康を見計らって親子3人水入らずで関西旅行までしている。捨松は巌の連れ子たちからも「ママちゃん」と呼ばれて慕われていた。家庭は円満で、実際には絵に描いたような良妻賢母だったという。
しかし蘆花からこの件に関して公に謝罪があったのは、『不如帰』上梓から19年を経た大正8年(1919年)、捨松が急逝する直前のことだった。雑誌『婦人世界』で盧花は「『不如歸』の小說は姑と繼母を惡者にしなければ、人の淚をそゝることが出來ぬから誇張して書いてある」と認めた上で、捨松に対しては「お氣の毒にたえない」と遅きに失した詫びを入れている。

「八重の桜」各話あらすじ&感想
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html
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NHK大河ドラマ 八重の桜 第46回「駆け落ち」
「八重の桜」第46回の視聴率は13・7%。久栄と徳富蘆花(健次郎)の駆け落ち騒動。兄・蘇峰にコンプレックスを抱く蘆花に、姉・みねと自分を比べ自嘲する、どこか似たもの同士の、はじけとぶ明治の青春。かくして、ふたりに訪れた結末は・・・?そして二人を見守る八重は? 復興にむけて頑張る福島と東北に熱くエールを放つ大河ドラマ”八重の桜”、共に見守りつつ、愛の桜前線を拡げていきたいですね!
NHK総合20:00~20:45 八重の桜HP http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/

八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA
八重の桜 第46回 あらすじ
母・時栄(谷村美月)が覚馬と離縁し、山本家を出ていって以来、ふさぎ込む久栄(門脇麦)。伊勢時雄が同志社の教師となり、みねが里帰りして平馬を出産し、皆が喜びを分かち合う中、久栄は孤独だった。八重(綾瀬はるか)は、母親代わりになろうと久栄を気遣うが、彼女はなかなか心を開こうとしない。
そんななか、久栄がただひとり心を許したのが徳富猪一郎(中村蒼)の弟・健次郎(太賀)だった。優秀な兄といつも比較され肩身の狭い思いをしている健次郎と、山本家に居心地の悪さを感じている久栄。悩みを打ち明け合ううちに、ふたりはウマがあった。
健次郎は徳富猪一郎(蘇峰)の弟で、伊勢にはいとこにあたる。猪一郎と健次郎の兄弟は、どちらも活字に携わっていて、兄は民友社を設立し、日本初の総合雑誌で、のちの明治のジャーナリズムを牽引する『国民の友』を創刊し、一方の弟は『同志社文学雑誌』に小説を掲載していた。
平馬が生まれて間もないある日、体調が すぐれずにいたみねが急逝する。父である覚馬はさぞ悔しかったろうと呟き、祖母の佐久は何故神様は自分を連れてってくれないんだと嘆く。八重は、久栄に形見分けの万年筆を手渡す。「みねの分も幸せになんねえどな」つらい運命を背負った異母妹の久栄をくれぐれもたのむと、八重は みねから託されていたのだ。しかし久栄は「母を追い出した人に頼るわけにはいかへん」と八重に背を向ける。山本家の跡取り娘でありながら、不貞な母親の娘だと周囲の好奇の目にさらされていた久栄の苦悩を、健次郎は優しく包み込んだ。久栄の母を人間らしい人だ、と表現し、決して蔑まない健次郎に、久栄もまた心を寄せ、結婚を意識し合うようになっていた。
それからほどなくして、今度は風邪をこじらせていた民治が亡くなり、襄は父の形見のパイプを口に含んで深い悲しみに沈む。久栄のことで手を焼く八重もまた「子は親の思う通りにならんということを心しておきなさい」という民治の深い言葉を胸に刻むのだった。
同年、初夏の日差しが眩しい6月、同志社内に久栄と健次郎が交際しているという噂が広まる。八重が二人を問いただすと、久栄は噂でなく結婚を前提にしたまことの付き合いだという。しかし健次郎の返事は曖昧で、この軟弱な若者にとても久栄を任せるわけにはいかない。「明治の生まれか・・・」覚馬は苦笑いし、八重は「最近の若いもんは・・」と覚馬の若い頃に比べて情けないと溜息をつく。そんな八重を 佐久は、お前もいつの間にかそんなことを言う年になったかと笑うのだった。
その夏、八重は襄と北海道の函館に旅に出る。襄がアメリカに向け密航した港だ。函館にはまた、会津で姉妹のように過ごした日向ユキが暮らしていた。ユキは、幕末の動乱を命からがら逃げ延び、、札幌で薩摩出身の内藤兼備と出会い、一族の反対を押し切って夫婦になったという。ユキの息子はもう十代半ば、久栄と寸分変わらない。「どうしたら母親らしくなれんのか・・・」凹む八重に、ユキは「壁にぶつかっても自分の決めた道を行くのが八重姉さまだ・・・迷った時は、母親らしくではなくて、姉様らしくやってみたらどうだべ」と助言し、八重は涙まじりに笑うのだった。
秋の新学期が始まってまもなく、健次郎と久栄が忽然と姿を消した。八重ははたと思い当った。健次郎と久栄は、示し合わせて東京にいくつもりだ。ならば、出発の前に久栄はみねの墓に参るはず・・・果たして、久栄はそこに居た。駆け落ちの展開に,猛然と待ったをかける八重。小説で食べてゆく自信があんのかという八重に、健次郎は「食べるために小説書くとじゃなか、小説書くために食べると」と一気に本音を吐露し、そんな健次郎でも久栄はついていくという。八重は兜を脱いで、「わかった、苦労と不幸は違う・・・久栄を必ず幸せにしてくなんしょ」と二人の味方になると誓う。しかし、ほどなくして健次郎は久栄を京に残し一人で東京にたってしまう。手紙には、自分の身勝手さを恥じいる謝罪が綴られ、末尾に「徳富蘆花」とペンネームが書かれていた。
身勝手な人・・・だけど正直な人、と、久栄はひとしきり泣いて、部屋を出ていく。自分が傷つくより、ずっと辛い、という八重に、佐久は「母親はみんなそうだ。はねっかえりの娘を持つと苦労すんだ」と笑う。佐久の言葉が八重の胸に染みいった。
・・・ということで、次回は第47話「残された時間」です。
八重の桜 第46回 名シーン
<みねの里帰り 同志社の教師となった夫の伊勢>
みねと伊勢時雄の間に息子の平馬が誕生し・・・

徳富猪一郎、快進撃 民友社を設立

猪一郎、「国民の友」創刊

あね様!

<みねの急逝>
みね・・・悔しかったろう

あのむごい戦を生き延びたというのに。平馬が生まれて、やっとこれからというときに・・・

なじょして・・神様がいるなら私の命を持っていってくなんしょ・・・ああ
<久栄をくれぐれも頼むとの、みねの遺志を守ろうとする八重>
っは・・母を追い出した人に頼るわけにはいかへん

久栄さんの母上は・・人間らしか人と思う

うちも東京について行く!うち、おばさまが山本家から追い出した女子の娘や。

厄介払いできてええやないの・・・うちも追い出してください
<その夏、襄と函館に旅した八重、二十年ぶりのユキとの再会>
ユキさん・・・

八重さん、元気だった!?

ゆきさんこそ・・・
<駆け落ちの現場にかけつけた八重>
これから二人で東京へ行きます

八重「小説で食べていく自信があんのか?」

食べるために小説ば書いてるんじゃなか・・小説ば書くために食べると!
久栄、お前が決めた道なら応援する。ただ駆け落ちはだめだ・・里帰りができなくなる。

おばさま・・・
<一人、東京へと発った健次郎>
きっとこうなると思っていた。身勝手な人や・・・けど、誰よりも正直な人や。

八重「自分が傷つくより、ずっとつれえ・・」

母親はみんなそうだ・・わがったか?はねっかえりの娘を持つと苦労すんだ・・・
八重の桜、こんなところが好き!感想
「艱難の山、苦痛の谷、手をたずさえて渡らん、君が将来の夫より 我が未来の妻へ」
これが明治のラブレター。
久栄たちの恋は とてもプラトニックで、文学的・・・!
清少納言やトルストイを引用して愛や道徳を語るなんて、なんて古式ゆかしくアカデミックでしょう。
言われてみれば、小説ができたのはこの頃ですね。
今でこそ当たり前の小説、徳富や久栄が恋を語らっていたこの頃こそ、近代文学の夜明けだったのですね。
しかし、「不貞を働いた母の娘だと一生言われる」と気にしながら、
ズカズカ男子校に入って行って健次郎にトルストイの話をさせる、どこか空気が読めない久栄・・・
いえ、それほどにあの家を出たかったのかもしれない。
人になんと言われようと自分自身で考え、駆け落ちを決意し、
新しい人生を切り開こうとした一本気な久栄、どこか八重に似ています。
血でしょうか。度胸もあります。
彼女もまた、明治生まれのハンサムウーマンだったのかもしれません。
そんな古風なふたりでも、周りのひとは新人類のように目を丸くするのだから、
この平成の世の男女のありさまを見たら、心臓がとまってしまうかもですね。
「明治の生まれか・・・」
と笑う覚馬の笑いは「戦争を知らない 子供たちさ♪」
という歌を思い出させます。
もしくは
「平成生まれか・・・」と笑いながら
新入社員の恋愛相談を受けるオジサン上司のような感覚なのでしょうか。
また、「近頃の若いもんは」・・・という、言葉を口にしたらもう年寄り、と言われているのは、
明治も平成も変わらないのですね。思わず笑ってしまいました。
あのうざったい言葉を耳にするたび、あ~あ、トシは取りたくないもんだなぁと思っていた自分が、
いつしかあの言葉を口にしているこの頃、危ない、危ない・・・
しかし、賢さが服を着て歩いてるような、あの佐久母さんですら
「近頃の若いもんは」と言われた時代があるそうですから、
どんな時代も”世の中が変わり続けることが、変わらない”という摂理をひしと感じるシーンでした。
文明開化の象徴みたいな牛鍋を食べながら
「小説など、低俗な娯楽にうつつをにかすな!」と見下げるもうひとりの健次郎の真逆(まギャク)の
反応が洒落になっておかしかったですね。
いまや学問の世界でエリート昇進まっしぐらの東大教授・健次郎に古臭さを感じてしまうとは・・・
昭和の中ごろまで漫画(コミックス)に夢中になる若者を見下していた年配者のリアクションにも似て
どこか滑稽です。
今は、漫画は市民権を得、ひとつの文化として確立しているし
歴史でも小説でもコミック化されたのを覚えたほうが利口、なんていう大人も少なくない。
本当に、時代ってどんどん変わっていく。
それでも、未来永劫変わらないもある。
それは、母の愛…親子の愛ではないでしょうか。
いくつになっても、佐久にとっては八重は 可愛いはねっかえり娘に違いない。
また、愛があるからこそ、覚馬の台詞どおり、みねは父が「憎かったろう」し、
久栄はいまや母である八重に悪態をつけるわけで、
5000人の同志社の「子ども達」を育てた八重でも、たった一人の姪っ子に思い悩んでしまう。
テレビを見終わって、食事の後片付けをしながら、お風呂に入って、ずっと考えていました。
あのとき、八重が反対しなければ幸せになれたかもしれない・・・
当初、反対しに押しかけていったことで、結局二人を別れさせることになって、
久栄が恋煩いで亡くなってしまったら、八重が悪役になってしまう?
いや、違う。
あの羅刹のような環境から救い出してくれる王子様に恋してた久栄と、
机上の恋に恋していたような健次郎が、駆け落ちで幸せになれたかどうか、甚だ、疑問。
軟弱なのに、そんな人間の弱さを強く優しく肯定する健次郎の確信に満ちた言葉に、
「んだな、不幸と苦労は違う」と、悟りをみたような八重とのやりとりは、まさに禅問答のようで
いくさ以上に緊張しました。
そこでまた、ひっくり返る、あまのじゃくな美雨。
でも、たとえ破局がきても、何もしない人生より、自分で選び行動した結果としての破局なら
後悔は残らなかったはず・・・
私が八重だったら、あのときあの状況で、あの二人に何と言うだろう。
いまもまだ、答えは出ていません。
八重の桜 第46回 キャスティング❤今日のフィーチャー
~ 久栄と徳富蘆花(健次郎)うたかたの恋2 ~
母・時栄が家を出てから、すっかり元気をなくした久栄。八重は母親代わりになろうと奮闘しますが、溝は深まるばかりでしたね。そんななか起こる久栄の駆け落ち騒動・・・久栄は、小説家をめざす徳富健次郎(徳冨蘆花)と共に内緒で東京に向かおうとしましたが、待っていたのは破局でした。それも、二度と会えない永(なが)の別れ・・・健次郎のなかで永遠の ”忘れえぬ人”となった時栄との うたかたの恋を、のちの蘆花は 告白のように 自伝的小説「黒い眼と茶色の目」で綴っています。
参照http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1132.html
<徳富健次郎(蘆花)・ちょっとネタバレ紹介>
兄と同じ同志社学校に入学するも、山本久栄への失恋により中退。兄の経営する民友社に入り、翻訳などい従事した。「国民新聞」に連載した小説「不如帰」(ほととぎす)が好評を博し、文筆家としての名声を得る。のち、兄との不和により民友社と決別。エルサレム巡礼、トルストイ訪問を経て半農生活を開始。久栄との恋愛を描いた「黒い眼と茶色の目」など、数々の作品を残した。

太賀(たいが)
1993年生まれ、東京出身。出演作に映画「桐島、部活やめるってよ」、ドラマ「黒の女教師」「潜入探偵トカゲ」、舞台「八犬伝」など。NHKでは、「あまちゃん」、大河ドラマ「風林火山」「天地人」「江」などに出演。
NHKのHPでも語られていますが、同志社に通うこの一見軟弱な学生、健次郎クン、後に、小説『不如帰(ほととぎす)』を執筆した有名な文豪・徳冨蘆花として名を馳せるのですから、こうして呼び捨てにしたり、女々しいの軟弱だのと話のタネにしていいのだろうかと、はたとボードを打つ手が止まってしまうことがあります。八重の桜では、こんなふうに あまりにさりげなく明治の大人物がポンポン出てくるので、つい友達のように呼び捨てにしてしまい反省。(笑)
以下、ホムペより
さて、この徳冨蘆花という名前には、彼のある思いが隠されているんです。
「徳冨蘆花」というのは、彼が小説を書くときのペンネーム。
この名前、よ~く見てみると...
徳富の「富」の字が、ワ冠の「冨」になっています。
これには諸説あり、一説には優秀な兄・猪一郎に劣等感をいただいていた健次郎が、兄と自分は違うということを示すためにあえて「冨」の字にしたといわれています。
また、「蘆花」という名前についても、故郷の熊本にある雄大な山・阿蘇山の「蘇」を付けたという兄とは対照的に、控えめに咲く「蘆(アシ)※の花」を名前にした健次郎。
※アシ...水辺に自生するイネ科の植物。夏から秋にかけ、穂に紫色の小花をたくさんつける
その由来は、清少納言の随筆にある「蘆の花は見どころとてもなく」という言葉からきており、健次郎は「蘆の花という見どころのない花だからこそ、自分は愛している」との意味合いを込めて「蘆花」という名を付けたといいます。
まさに、対立していた兄とは、対照的なネーミングです。
出来のいいお兄ちゃんに負けまいと、必死に小説家をめざす健次郎でした。
<山本久栄・ちょっとネタバレ紹介>
覚馬と時栄の娘。覚馬が東北より京都に呼び寄せた佐久、八重、みねと、幼いころからともに暮らし、かわいがられて育つ。母・時栄の不義の噂が原因で、両親は離縁。以後、時栄のいない山本家で育つ。学問に励む姿は父親ゆずりで、のちに同志社女学校に入学する。在学中に、同志社英学校に通っていた徳富健次郎(のちの徳富蘆花)と恋仲となるが、ふたりが結はれることはなかった。同志社女学校卒業後、神戸英和女学校に学ぶが、覚馬が亡くなった翌年にその短い生涯を終えた。

門脇麦(かどわき むぎ)
1992年生まれ、東京都出身。CM出演で注目をあび、舞台「ストリッパー物語」などに出演。映画「愛の渦」が2014年に公開予定。NHKでは、ドラマ「第二楽章」など、大河ドラマは初出演。
※覚馬のふたりの娘 みねと久栄の数奇な生涯
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1137.html
八重の桜 第46回



~ちょっと気になる健次郎(徳富蘆花)の小説「不如帰;ほととぎす」~
戦争が引き裂いた夫婦と、戦争が巡り合わせた夫婦の間に、それぞれ生まれ育った二人の娘。
この娘達の短い生涯を思うとき、戦争が父覚馬に起こした運命のいたずらと ふたりの姉妹の辿った数奇な一生を、深く考えさせずにおきません。
健次郎の言葉通り、弱さもふがいなさも全てひっくるめて、本当の人間らしさを紙面に綴ったことで世に出た山本家のスキャンダル・・・自分が自分であるために、そうせざるを得なかった健次郎が、近代文学の幕を開けた明治の大文豪として謳われているのに、この世の無情を感じてなりません。
そんな人間の本質を描きたかった蘆花の、ちょっと気になる小説『不如帰(ほととぎす)』。
明治30年代の大ヒット小説です。
不治の病にかかったヒロイン浪子が、息子を溺愛する姑にいじめられ、最後には仲を引き裂かれてしまうという、まるで昼ドラのようなこの物語に、実はモデルとなった一家があったのです。
その家とは・・・なんと、八重の桜でもおなじみ、山川大蔵・健次郎の妹、咲(捨松)の嫁いだ大山家だという不思議。徳富蘆花には、会津人の血を引く女性と何か確執があるのでしょうか・・・

『不如帰』の逸話 大山捨松のウィキペディアより
大山巌は先妻との間に娘が3人いた。長女の信子は結核のため20歳で早世したが、彼女をモデルとして徳冨蘆花が書いた小説が、「あああ、人間はなぜ死ぬのでしょう! 生きたいわ! 千年も万年も生きたいわ!」の名セリフが当時の流行語にまでなったベストセラー『不如歸』である。
小説の中で主人公の浪子は結核のため幸せな結婚生活を引き裂かれた挙げ句、実家に戻ると今度は非情冷徹な継母によって離れに押し込まれ、寂しくはかない生涯を終える。ところがこの小説に描かれた継母が捨松の実像と信じた読者の中には彼女に嫌悪感を抱く者が多く、誹謗中傷の言葉を連ねた匿名の投書を受け取ることすらあった。捨松は晩年までそうした風評に悩んでいたという。
実際は小説とはまったく逆で、信子の発病後、離縁を一方的に申し入れてきたのは夫の三島彌太郎とその母で、悩む捨松を見るに見かねた津田梅子は三島家に乗り込んで姑に猛抗議している。看護婦の資格を活かし親身になって信子の看護をしたのも捨松自身で、信子のためにわざわざ離れを建てさせたのも、信子が伝染病持ちであることに気兼ねせずに自宅で落ち着いて療養に専念できるようにとの思いやりからだった。巌が日清戦争の戦地から戻ると、信子の小康を見計らって親子3人水入らずで関西旅行までしている。捨松は巌の連れ子たちからも「ママちゃん」と呼ばれて慕われていた。家庭は円満で、実際には絵に描いたような良妻賢母だったという。
しかし蘆花からこの件に関して公に謝罪があったのは、『不如帰』上梓から19年を経た大正8年(1919年)、捨松が急逝する直前のことだった。雑誌『婦人世界』で盧花は「『不如歸』の小說は姑と繼母を惡者にしなければ、人の淚をそゝることが出來ぬから誇張して書いてある」と認めた上で、捨松に対しては「お氣の毒にたえない」と遅きに失した詫びを入れている。

「八重の桜」各話あらすじ&感想
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html
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まーさんさま
明治の小説を読まれていたなんてすごいです。
不如帰の小説とは知らずに、うちの家族も「千年も万年もを使っていた気がします。
特に群馬の親戚達が「千年も万年も」をよく使うのは、なるほど、伊香保温泉に徳富蘆花記念文学館があるからなのかも・・・まーさん、教えて下さってありがとうございます。^^
でも、そうして蘆花さん、生まれ故郷の熊本や、同志社ゆかりの京都とかでなく、関東でもはずれの群馬に!?と思ってしまいました。(美雨の生まれが高崎なのでちょっと嬉しいですが♪)
> ところで、美雨様にご紹介いただいた『朱蒙』、観ています!面白くて止められないです(困)
> しばらくTⅤの前から離れられなくなりそうです(^^ゞ
わお~ん、まーさん流石!フットワーク軽いですね(*^。^*)早速チュモンを!?
素晴らしい!ハラショ(まーさん風に)
チュモンはハマりますヨ~!あまりに面白くて、もう一話、もう一話と夜更かししてしまい、目の下クマにならないよう、まーさん気を付けてくださいね。見終わったら是非感想聞かせてください。楽しみにしています(=^・^=)