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2013.09/22 [Sun]
八重の桜 第38回「西南戦争」 あらすじ&感想 ~薩摩人、見をや東のますらをが ~
[八重の桜] ブログ村キーワード

NHK大河ドラマ 八重の桜 第38回「西南戦争」
最新の回のあらすじ&感想はこちらをクリック↓(「八重の桜」各話あらすじ&感想)
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会津戦争から10年。日本最後の内戦といわれる「西南戦争」が勃発。かつて賊軍と呼ばれた旧会津藩士も、今度は官軍として戦地へ!復興にむけて頑張る福島と東北に熱くエールを放つ大河ドラマ”八重の桜”、共に見守りつつ、虹の桜前線を拡げていきたいですね!
NHK総合20:00~20:45 八重の桜HP http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/

八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA
第38話あらすじ
1877(明治10)年2月、八重(綾瀬はるか)は襄(オダギリジョー)と共に、新築された同志社英学校の校舎で備品の準備に追われていた。新校舎の引っ越しに浮き立つ熊本バンドら生徒達だが、その気分を打ち消すように、徳富が西郷が熊本で反乱・挙兵したとのニュースをもたらす。郷土の熊本も戦となるかもしれない・・・暗雲たちこめる中、八重に伴われ覚馬が京都府庁に赴くと、槇村は落ち着いた顔で「大久保が西郷の様子を探らせに送った密偵を、西郷の暗殺者と思い込み、反乱を起こしたが、口実はなんでもよかったんじゃろ」と明かす。 「西郷、動くな!」戦をとめるべく御所に訴えに向かおうとした覚馬を、槇村は「御所はあんたの入れるとこじゃない」と冷淡に制する。
その頃、御所では木戸と大久保が重大な決断を下そうとしていた。かつて、維新の立役者であった同郷の志士、大久保も、もはや西郷隆盛(吉川晃司)とその配下の不平士族らの決起を止められず、鹿児島の暴徒に苦渋の決断を下す。木戸もまた薩長同盟の相方であった西郷らを賊徒と呼び、追討の令を下すのだった。ついに、日本最後の内戦といわれる 「西南戦争」の幕が切って落とされる。
一方、かつて賊軍と呼ばれた旧会津藩士も、今度は官軍として戦地へ向かうことに。政府軍に仕官した山川浩(玉山鉄二)は、陸軍中佐・征討軍団参謀として出征し、熊本城を包囲する薩摩軍を撃破し、熊本城の救援部隊第一号となる。そして 生活苦にあえぐ旧会津藩士達を引き連れて警視庁に出仕した佐川官兵衛(中村獅童)は、肥後口で副指揮長として藩士らと参戦。 激戦地・田原坂で進退窮まった政府軍の大山巌(反町隆史)は、官兵衛と藤田五郎(=斎藤一・降谷建志)抜刀隊に選抜し、ついに従兄弟である西郷に戦いを挑んだ。容保から賜った名刀「政宗」を脇に「一矢報いねば死んだ会津藩士らに顔向けができない」と獅子奮迅の活躍で善戦した佐川だが、力尽き 南阿蘇山で壮絶な死を遂げる。かつてよく口にしていた、名誉の戦死であり、武士といわれる者たちの最期の戦いであった。
追い詰められた西郷もまた、熊本城の包囲網を突破した山川浩(大蔵)と対峙する。大蔵は問う。戊辰戦争の折り、会津は幾度も恭順を示し、和解を願い出た。しかしお前は聞き入れず会津を朝敵に貶め、大軍をもって追いつめた、と。西郷は会津が人柱となったこと認め、忘れたことはないが、旧勢力が結集しては戦は終わらないこと、しからば自分らももう矛を収めるとき、内戦は二度と起こさん、と答える。「おいが みな、抱いていく」と・・・。
故郷の城山で自決した西郷と、山川を先頭に元会津藩士達の華々しい戦功が新聞で伝えられ、八重の母佐久は「賊軍の汚名もじきに晴れる」と喜ぶが、会津を滅ぼしてまで新しい国を創る筈が、何故また戦をするのか八重にはどう考えてもわからない。
そして「京都に女性が学ぶ学校を」という希望を胸に戦ってきた八重もまた、その夢が実現する日を迎える。同志社と対になる女学校設立許可が下りたのだ。しかし八重は、女紅場のようによき母になるためだけの教育でなく、違うコンセプトの学校を作りたいと襄に願い出る。「探してる答のため 学問がいる・・・」襄も賛同し、万国通信、代数学、化学など、同志社とほぼ同じ時間割を提示、ついに八重の思いがつまった学校・同志社女学校が誕生する。
知性と品格を磨いた女性は、男性以上に世の中を変える力を持っていると信じている襄の力強い言葉のとおり、女学校は 男子学生顔負けの女生徒たちで溢れ・・・。
※西南戦争・・・明治10年、士族の反乱の内最大規模となった内戦。鹿児島の不平士族らが西郷隆盛を盟主にして起こした明治政府に対する武力反乱であった。この戦争には1000人を超す多くの元会津藩士が官軍(政府軍)として参戦し、西南戦争は会津の無念を晴らす絶好の機会とされた。その元会津藩士たちの活躍は、今も語り草となっている。
この戦で、山川浩(大蔵)は「薩摩人 みよや東の丈夫(ますらお)が 提げ佩く太刀の 利(と)きか鈍きか」という歌を詠み、激戦区・田原坂で本懐をとげた佐川官兵衛は「君がため 都の空を打ちいでて 阿蘇山麓に 身は露となる」との辞世の句を残している。
・・・ということで、次回は第39話「私たちの子ども」です。
第38話ぷち・ギャラリー
同志社英学校 新校舎が完成!

「熊本の洋学校に比べたら小さか~」 「これ!罰当たりな」
<ついに西南戦争が>
政府「もう討つしかないか・・・ 鹿児島の暴徒に追討の令を出す!」

かつての友は今日の敵に
対して反乱軍は 西郷「熊本城を討つ!薩摩の武威をば天下に示しもんぞ!」

おう~!!
<一方、旧会津藩士たちは・・・>
薩摩人 見よや東の丈夫が 提げ佩く太刀の 鋭きか 鈍きか

やっと正々堂々と薩摩郡と戦える時が来た・・・!
殿より賜った正宗だ。大失態を挽回する折がとうとう巡ってきた。

フキフキ
会津の名誉をこの戦で取り返す!!

駄目だ・・・このまま戦が続けば奥羽越列藩同盟の二の舞になんぞ

使い捨てにされた士族たちの怒りが生き場を求めて暴れだしたか・・・
鬼の官兵衛 最後まで武士らしく槍と刀で・・・ 最後の雄姿

ズガガガガーン しかし弾丸が火を噴き・・
佐川さまッ!!

望みが叶った・・・戦場で斬り死にできる。あ、ありがてぇ・・・

佐川さま!!
西郷!聞きたい・・なぜ幾度も恭順を示した会津を朝敵におとし大軍で追いつめた!?

会津は人柱(ひとばしら)か!?今のこの国は会津人が流した血の上に出来上がっている!
そいを忘れたこつはなか。じゃどん、もう矛を収めなぁならん。

内乱は二度とは起こさん・・・おいがみな,抱いていく
<木戸に停戦の勧告を頼む覚馬と襄>
いや、もはや行きつくとこまで行かんと。これは維新の総仕上げじゃ!

しかし不思議な縁じゃ・・西郷の蒔いた種は君らの学校で芽吹くのかもしれんな

西郷、たいがいにしておけ!
城山で最期を迎える西郷

もうこのへんでよかろう、しんどん(別府晋介)、頼む
他に道はねかったのか・・?

<八重の夢、同志社英学校が実現>
知性と品格を磨いた女性には男子以上にこの世の中を変える力があると信じてるんですよ。

しかし・・・
同志社英学校(男子校のほう)に乗り込んできた女生徒達
校長先生!私たちもここで学びたか。女学校の英語リーダーは簡単すぎて面白ぅなか。

生徒募集広告には男女の分かちなく学ぶべしと書いてあったとに?熊本バンド「ね、姉さん!?」
一難去ってまた一難の八重だが・・・
八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記
西郷率いる薩摩軍と会津の政府軍。
短く限られた描写の中で、幕末から明治を生きた武士たちの最期が、見事に描かれていた38話、
良かったですね。 そして
「歴史はくり返す」
・・・この言葉を痛切に感じた回でした。
会津戦争から、もう10年過ぎているのに。
いや、まだ10年しか経っていないのに。
あのときの西郷の台詞を思い出さずにいられません。
「さて、そげんなれば、振り上げた拳をばどげに降ろすかじゃな」
世を動かすエネルギーの代償として、彼はいつも巨大なスケープゴートを必要としていた気がします。そこから奪う事で士族らの不満の矛をおさめていたような・・・維新後は征韓論まで持ち出していた西郷。
あのときは、「その拳、自分の頭におろしなんしょ!」と叫んでしまった私でしたが、ついにその日がやって来るとは・・・。
対して、奪うな、おしみなく与えよ、されば与えられんと説く襄の教えのなんと美しいこと。
美しすぎる。天使のよう。
だからこそ、天使の羽は傷つき折れやすいのでしょう。そんな襄には、戦いの女神アテナのような八重がいてこそ、清濁あわせもつ現実界のパワーで世の荒波を乗り越えていけるのかもしれない・・・
その八重に、西郷は、こんな台詞も聞かせていました。
”何か一つ違っちょったら、薩摩と会津は立場が入れ替わっちょった”
”おいは、会津と薩摩は、どっか似た国じゃち思っちょった。武士の魂がかよう国同士じゃと”
これも、「勝てば官軍、負ければ賊軍」そのままに、なんとも皮肉な入れ替わりになりましたが、会津と薩摩は、どっか似た国、というのは本当だと思う。
今日は、その会津と薩摩の”最後のもののふ”を代表する、西郷隆盛と佐川官兵衛を思い切りしのんでみたい。
江戸時代、仇討本懐(あだうちほんかい)は武士の誉れとされていましたが、もはや世は明治も十年過ぎています。
明治にとうにギアチェンジしてる山本家と、会津をひきずった官兵衛達の思いには隔たりがありますね。明治の軍服を着ていても、彼らの心は、まだれっきとした武士。
武士というのは、単に歴史上の階級をさすのでなく、真のもののふ、という意味で、です。
佐川官兵衛らが最後の武士、と謳われるのには、理由がありました。
会津を滅ぼした敵陣の薩摩にあって、官兵衛は司令官として部下に一切の略奪を厳しく禁じていました。その清貧な人柄は、いまも駐留地で慕われているそうです。
飯盛山フェスタで知己を得た、郷土史を専門にしている会津の方達の話では、戊辰戦争での新政府軍の略奪、レイプはすさまじく、会津の藩士達は、「敵とはいえ、本当に もののふふなのか!?」と武士の誇りさえ踏みにじられたといいます。
「戦で奪われたものは、戦で取り返すのが武士の習い」会津家老・萱野の遺言が脳裏をよぎりますが、取り返すのは、ただ名誉であればいい。憎しみから雪辱を果たすというよりは、逆賊の汚名を返上したい、官兵衛ら会津藩士にはその一心だけだったといいます。
また、こんな言葉も胸にしみました。
”会津以外の人からみると、歴史上の出来事は「点」に見えるかもしれない、しかし会津に住む人から見ると、過去と現代が繋がっている「線」なのだよ”と。
「逆賊」の汚名を着せられて生きてきた会津藩士のこの時の思いを、今の時代のものさしで測れませんが、戦いで失ったものを取り戻すのは、戦いしかなかったのか?と、つい自問自答してしまう。
けれど、西郷自身にとっては、会津は敵ではなかったと思う。
内憂下患の時代、今この国を変えなければ外国にやられてしまう・・・その思いで仕方なく会津と戦った。もし無血開城せずに江戸で戦っていれば会津戦争もなかったし、「振り上げた拳をおろす場所がない」ままでは、状況がおさまらなかったのは世の常だったのかもしれません。もし江戸城で勝海舟と会談したのが西郷でなかったら、江戸は火の海となり、西洋列強にやられてしまっていたか、維新もずっと遅れたのは事実でしょう。
歴史はくり返す。
西南戦争は、敵味方あわせて一万三千人もの戦死者を出し、維新の総仕上げとなるための”人柱”となってしまった薩摩。
十年前、この国が会津人の血の上に新しい国家を築いたように・・・
そのために”みな、抱いて”いった西郷。
「西南戦争」を見終わったあと、思わず以前録画していた第1話を見返しました。
冒頭の南北戦争の終結時、草笛さんのナレーションはこうでした。
“内戦は深い傷を残した。 しかし、そこから立ち上がり、
苦しみの先に未来を見つめた人々が やがて新しい国づくりに向けて歩き出してゆく”
八重の”探していた答え”が、いま、脳裏をかけめぐります。
西郷はじめ「新しい国づくり」、という大義名分を掲げて戦いにあけくれる男たちが
どんなに血を流し、殺し、破壊しあっても、
女たちは新たな命を生み、はぐくみ、平和な世界を構築する力をもっている・・・
そのための、女たちの学び舎。
薩摩の京藩邸を覚馬に託した西郷の撒いた種が、同志社という学校でめぶくとき、
そこには、男・女わけへだてない平和な文明の町が出来ている気がします。
武力で押しつぶされることのない、本当の文明の町が・・・。
人物あらかると
さようなら佐川さま
昔はニガテなタイプだったのに、いつの間にか大好きになっていました、佐川さま。最近は、若い時の様に血気盛んな男から、戦い抜いてきた男の真の強さや落ち着きがにじみ出て、頼もしさこの上ないこと、守護職時代は舞を披露してくれたり、尚之助の洋式調練では、ヘタレの藩士達の先達となって模範を示した佐川さま。断末魔のときでさえ、これぞ会津武士!という会津の“散りゆく美しさを実感させてくれました。

<佐川官兵衛・あらためて紹介>
剣技と馬術に優れた、会津藩きっての猛将。江戸で喧嘩沙汰から人をあやめてしまったが、容保の温情にて一命をとりとめる。謹慎後は京の市中警護にあたる別撰組を統率。鳥羽伏見の戦いでは退却するとき悠然と傘をさしていたことから敵味方に「鬼の官兵衛」「鬼佐川」とたたえられた。会津戦争では長岡藩の河井継之助と連携して北越戦線で活躍するなど、若松城の開城寸前まで新政府軍の脅威となった。戦争後しばらくして300名の旧会津藩士を率いて警視庁に奉職。運命の雪辱戦である西南戦争で名誉の戦死。

その佐川官兵衛扮する中村獅堂さん、「八重の桜では」”男が惚れる男”を演じ切りたいと熱く語っておられました。愚直なまでにまっすぐなところや、最後まで槍を使い続けるかたくなさは男として憧れる、とも。美雨的には、勇猛果敢な官兵衛のイメージをしっかり創りあげつつも、ふとしたときに見せる優しさや温かさも、魅力的に演じられるのは、やはり中村獅堂さんの器の大きさ、引き出しの多さによるものだと思います。
反面、「長命寺での戦い」では飲み過ぎが原因で致命的な遅刻をしたりと(笑ってはいけないシチュエーションなのですが)今まであまり好きでなかったツワモノ一本やりの官兵衛どのの、人間臭さに惚れました。生臭い戦の中にあって、どこかホッコリしてしまうシーン、忘れられません。あの出陣前夜の容保との熱い盛り上がりとの落差が激しすぎて、コントでしたね。(笑)
天然系で、こんな笑いを醸し出す佐川さま、最高です。
武士がもっとも武士らしくあった会津藩にあって、最後の武士の輝きを放つがごとく美しく散った佐川さま、本物のもののふの魂や、愛する者を守るために己の道を突き進んでいく強さを教えてくれました。
人物あらかると
さよなら西郷どん
上野銅像でもおなじみ「西郷どん」のイメージに定着ありすぎて、当初まったく受け入れなかった吉川版西郷どん。合う合わない賛否両論あるけれど、内藤プロデューサーが吉川さん御指名の上「西郷さんのイメージをあえて外しましょうよ」と持ちかけたというから、今回の八重では、何か特別な主張があるのかも?とずっとその「何か」を追ってきました。いまは誰より、吉川版・西郷がカッコイイと思う。
「おいが みな、抱いてゆく」の祈りでは、思わず一緒に手を合わせてしまった美雨でした。

薩摩といえば西郷どん、西郷どんといえば薩摩・・・西郷隆盛演じる吉川晃司
薩摩藩の下級武士の家に生まれたが、名君・島津斉彬の薫陶を受け、早くから他藩の諸氏と交わる。第2次長州征伐以後、討幕の指導者となり、戊辰戦争では総参謀として征東軍を指揮し、江戸城を無血開城させた。維新後に参議となるが、征韓論に敗れて下野。その後、西南戦争で敗北し、自刃した。
西郷隆盛演じる吉川晃司さん
(1965年広島県出身、1984年「モニカ」で歌手デビュー。映画、ドラマでも活躍中)
吉川さんは、この作品では敵側の役でありながら、幕末から明治にかけての時代を会津側から見ることの新鮮さを感じているという。今までの維新ドラマのような勝ち組からの台本でなく、八重の桜は勝者の歴史の合間を縫って書かれているので、吉川さん自身、新しく知ることがいろいろあって、思わずなるほどと感心することも多いそう。
体型の違いや、顔の似てる似てないは、自分ではどうしようもないので、勘弁してください、との茶目っ気も、アグレッシブなばかりの若い時の吉川さんから、渋皮の向けた大人の貫録を感じます。

吉川さんの「切なさを殺せない」好きでした。BGMにドゾ♪体、柔らかい~(>_<)
youtubehttp://www.youtube.com/watch?v=aycV59FkfwY
確かに、吉川さんといえば「るろうに剣心」のイメージのような、刀を振りまわすような、エッジの効いたサムライを演じたことはあっても、西郷どんのように器で人を束ねていくタイプはまるでイメージ無かった気がします。
吉川版西郷はむしろ哲学的で、前々回のセリフ「枯葉が落ちねば、次の花は咲けんな」などは、おそらくヨハネ福音書の「一粒の麦が地に落ちて死なねば、ただ一粒にすぎぬ。しかし死ねば、多くの実を結ぶ」・・・のように思いますが、クリスチャンでもない彼がこのようにいつも哲学的な言葉を発するのが大変印象的でした。
おそらく西郷は近代化の邪魔になる不平士族をまとめて、わが身もろとも玉砕するつもりだったのでしょう。「おいが、みな、抱いてゆく」ように・・・
「八重の桜」での西郷をみていると、彼はなるべく戦をしないように、しないように、無駄な犠牲を出さないように努めている印象を受けますね。会津側からすると敵となるわけですが、憎々しくない。むしろ、敬天愛人を地でいく、懐の深い、柔らかい感じですら見えてしまう・・・これがもしかしたら、上に書いた、内藤プロデューサーの狙う「何か」だったのかも?なんて思えた、吉川版西郷どんでした。
「八重の桜」各話あらすじ&感想
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❤女子力アップ❤明治の八重たんより

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NHK大河ドラマ 八重の桜 第38回「西南戦争」
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八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA
第38話あらすじ
1877(明治10)年2月、八重(綾瀬はるか)は襄(オダギリジョー)と共に、新築された同志社英学校の校舎で備品の準備に追われていた。新校舎の引っ越しに浮き立つ熊本バンドら生徒達だが、その気分を打ち消すように、徳富が西郷が熊本で反乱・挙兵したとのニュースをもたらす。郷土の熊本も戦となるかもしれない・・・暗雲たちこめる中、八重に伴われ覚馬が京都府庁に赴くと、槇村は落ち着いた顔で「大久保が西郷の様子を探らせに送った密偵を、西郷の暗殺者と思い込み、反乱を起こしたが、口実はなんでもよかったんじゃろ」と明かす。 「西郷、動くな!」戦をとめるべく御所に訴えに向かおうとした覚馬を、槇村は「御所はあんたの入れるとこじゃない」と冷淡に制する。
その頃、御所では木戸と大久保が重大な決断を下そうとしていた。かつて、維新の立役者であった同郷の志士、大久保も、もはや西郷隆盛(吉川晃司)とその配下の不平士族らの決起を止められず、鹿児島の暴徒に苦渋の決断を下す。木戸もまた薩長同盟の相方であった西郷らを賊徒と呼び、追討の令を下すのだった。ついに、日本最後の内戦といわれる 「西南戦争」の幕が切って落とされる。
一方、かつて賊軍と呼ばれた旧会津藩士も、今度は官軍として戦地へ向かうことに。政府軍に仕官した山川浩(玉山鉄二)は、陸軍中佐・征討軍団参謀として出征し、熊本城を包囲する薩摩軍を撃破し、熊本城の救援部隊第一号となる。そして 生活苦にあえぐ旧会津藩士達を引き連れて警視庁に出仕した佐川官兵衛(中村獅童)は、肥後口で副指揮長として藩士らと参戦。 激戦地・田原坂で進退窮まった政府軍の大山巌(反町隆史)は、官兵衛と藤田五郎(=斎藤一・降谷建志)抜刀隊に選抜し、ついに従兄弟である西郷に戦いを挑んだ。容保から賜った名刀「政宗」を脇に「一矢報いねば死んだ会津藩士らに顔向けができない」と獅子奮迅の活躍で善戦した佐川だが、力尽き 南阿蘇山で壮絶な死を遂げる。かつてよく口にしていた、名誉の戦死であり、武士といわれる者たちの最期の戦いであった。
追い詰められた西郷もまた、熊本城の包囲網を突破した山川浩(大蔵)と対峙する。大蔵は問う。戊辰戦争の折り、会津は幾度も恭順を示し、和解を願い出た。しかしお前は聞き入れず会津を朝敵に貶め、大軍をもって追いつめた、と。西郷は会津が人柱となったこと認め、忘れたことはないが、旧勢力が結集しては戦は終わらないこと、しからば自分らももう矛を収めるとき、内戦は二度と起こさん、と答える。「おいが みな、抱いていく」と・・・。
故郷の城山で自決した西郷と、山川を先頭に元会津藩士達の華々しい戦功が新聞で伝えられ、八重の母佐久は「賊軍の汚名もじきに晴れる」と喜ぶが、会津を滅ぼしてまで新しい国を創る筈が、何故また戦をするのか八重にはどう考えてもわからない。
そして「京都に女性が学ぶ学校を」という希望を胸に戦ってきた八重もまた、その夢が実現する日を迎える。同志社と対になる女学校設立許可が下りたのだ。しかし八重は、女紅場のようによき母になるためだけの教育でなく、違うコンセプトの学校を作りたいと襄に願い出る。「探してる答のため 学問がいる・・・」襄も賛同し、万国通信、代数学、化学など、同志社とほぼ同じ時間割を提示、ついに八重の思いがつまった学校・同志社女学校が誕生する。
知性と品格を磨いた女性は、男性以上に世の中を変える力を持っていると信じている襄の力強い言葉のとおり、女学校は 男子学生顔負けの女生徒たちで溢れ・・・。
※西南戦争・・・明治10年、士族の反乱の内最大規模となった内戦。鹿児島の不平士族らが西郷隆盛を盟主にして起こした明治政府に対する武力反乱であった。この戦争には1000人を超す多くの元会津藩士が官軍(政府軍)として参戦し、西南戦争は会津の無念を晴らす絶好の機会とされた。その元会津藩士たちの活躍は、今も語り草となっている。
この戦で、山川浩(大蔵)は「薩摩人 みよや東の丈夫(ますらお)が 提げ佩く太刀の 利(と)きか鈍きか」という歌を詠み、激戦区・田原坂で本懐をとげた佐川官兵衛は「君がため 都の空を打ちいでて 阿蘇山麓に 身は露となる」との辞世の句を残している。
・・・ということで、次回は第39話「私たちの子ども」です。
第38話ぷち・ギャラリー
同志社英学校 新校舎が完成!

「熊本の洋学校に比べたら小さか~」 「これ!罰当たりな」
<ついに西南戦争が>
政府「もう討つしかないか・・・ 鹿児島の暴徒に追討の令を出す!」

かつての友は今日の敵に
対して反乱軍は 西郷「熊本城を討つ!薩摩の武威をば天下に示しもんぞ!」

おう~!!
<一方、旧会津藩士たちは・・・>
薩摩人 見よや東の丈夫が 提げ佩く太刀の 鋭きか 鈍きか

やっと正々堂々と薩摩郡と戦える時が来た・・・!
殿より賜った正宗だ。大失態を挽回する折がとうとう巡ってきた。

フキフキ

会津の名誉をこの戦で取り返す!!

駄目だ・・・このまま戦が続けば奥羽越列藩同盟の二の舞になんぞ

使い捨てにされた士族たちの怒りが生き場を求めて暴れだしたか・・・
鬼の官兵衛 最後まで武士らしく槍と刀で・・・ 最後の雄姿

ズガガガガーン しかし弾丸が火を噴き・・
佐川さまッ!!

望みが叶った・・・戦場で斬り死にできる。あ、ありがてぇ・・・

佐川さま!!
西郷!聞きたい・・なぜ幾度も恭順を示した会津を朝敵におとし大軍で追いつめた!?

会津は人柱(ひとばしら)か!?今のこの国は会津人が流した血の上に出来上がっている!
そいを忘れたこつはなか。じゃどん、もう矛を収めなぁならん。

内乱は二度とは起こさん・・・おいがみな,抱いていく
<木戸に停戦の勧告を頼む覚馬と襄>
いや、もはや行きつくとこまで行かんと。これは維新の総仕上げじゃ!

しかし不思議な縁じゃ・・西郷の蒔いた種は君らの学校で芽吹くのかもしれんな

西郷、たいがいにしておけ!
城山で最期を迎える西郷

もうこのへんでよかろう、しんどん(別府晋介)、頼む
他に道はねかったのか・・?

<八重の夢、同志社英学校が実現>
知性と品格を磨いた女性には男子以上にこの世の中を変える力があると信じてるんですよ。

しかし・・・
同志社英学校(男子校のほう)に乗り込んできた女生徒達
校長先生!私たちもここで学びたか。女学校の英語リーダーは簡単すぎて面白ぅなか。

生徒募集広告には男女の分かちなく学ぶべしと書いてあったとに?熊本バンド「ね、姉さん!?」
一難去ってまた一難の八重だが・・・
八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記
西郷率いる薩摩軍と会津の政府軍。
短く限られた描写の中で、幕末から明治を生きた武士たちの最期が、見事に描かれていた38話、
良かったですね。 そして
「歴史はくり返す」
・・・この言葉を痛切に感じた回でした。
会津戦争から、もう10年過ぎているのに。
いや、まだ10年しか経っていないのに。
あのときの西郷の台詞を思い出さずにいられません。
「さて、そげんなれば、振り上げた拳をばどげに降ろすかじゃな」
世を動かすエネルギーの代償として、彼はいつも巨大なスケープゴートを必要としていた気がします。そこから奪う事で士族らの不満の矛をおさめていたような・・・維新後は征韓論まで持ち出していた西郷。
あのときは、「その拳、自分の頭におろしなんしょ!」と叫んでしまった私でしたが、ついにその日がやって来るとは・・・。
対して、奪うな、おしみなく与えよ、されば与えられんと説く襄の教えのなんと美しいこと。
美しすぎる。天使のよう。
だからこそ、天使の羽は傷つき折れやすいのでしょう。そんな襄には、戦いの女神アテナのような八重がいてこそ、清濁あわせもつ現実界のパワーで世の荒波を乗り越えていけるのかもしれない・・・
その八重に、西郷は、こんな台詞も聞かせていました。
”何か一つ違っちょったら、薩摩と会津は立場が入れ替わっちょった”
”おいは、会津と薩摩は、どっか似た国じゃち思っちょった。武士の魂がかよう国同士じゃと”
これも、「勝てば官軍、負ければ賊軍」そのままに、なんとも皮肉な入れ替わりになりましたが、会津と薩摩は、どっか似た国、というのは本当だと思う。
今日は、その会津と薩摩の”最後のもののふ”を代表する、西郷隆盛と佐川官兵衛を思い切りしのんでみたい。
江戸時代、仇討本懐(あだうちほんかい)は武士の誉れとされていましたが、もはや世は明治も十年過ぎています。
明治にとうにギアチェンジしてる山本家と、会津をひきずった官兵衛達の思いには隔たりがありますね。明治の軍服を着ていても、彼らの心は、まだれっきとした武士。
武士というのは、単に歴史上の階級をさすのでなく、真のもののふ、という意味で、です。
佐川官兵衛らが最後の武士、と謳われるのには、理由がありました。
会津を滅ぼした敵陣の薩摩にあって、官兵衛は司令官として部下に一切の略奪を厳しく禁じていました。その清貧な人柄は、いまも駐留地で慕われているそうです。
飯盛山フェスタで知己を得た、郷土史を専門にしている会津の方達の話では、戊辰戦争での新政府軍の略奪、レイプはすさまじく、会津の藩士達は、「敵とはいえ、本当に もののふふなのか!?」と武士の誇りさえ踏みにじられたといいます。
「戦で奪われたものは、戦で取り返すのが武士の習い」会津家老・萱野の遺言が脳裏をよぎりますが、取り返すのは、ただ名誉であればいい。憎しみから雪辱を果たすというよりは、逆賊の汚名を返上したい、官兵衛ら会津藩士にはその一心だけだったといいます。
また、こんな言葉も胸にしみました。
”会津以外の人からみると、歴史上の出来事は「点」に見えるかもしれない、しかし会津に住む人から見ると、過去と現代が繋がっている「線」なのだよ”と。
「逆賊」の汚名を着せられて生きてきた会津藩士のこの時の思いを、今の時代のものさしで測れませんが、戦いで失ったものを取り戻すのは、戦いしかなかったのか?と、つい自問自答してしまう。
けれど、西郷自身にとっては、会津は敵ではなかったと思う。
内憂下患の時代、今この国を変えなければ外国にやられてしまう・・・その思いで仕方なく会津と戦った。もし無血開城せずに江戸で戦っていれば会津戦争もなかったし、「振り上げた拳をおろす場所がない」ままでは、状況がおさまらなかったのは世の常だったのかもしれません。もし江戸城で勝海舟と会談したのが西郷でなかったら、江戸は火の海となり、西洋列強にやられてしまっていたか、維新もずっと遅れたのは事実でしょう。
歴史はくり返す。
西南戦争は、敵味方あわせて一万三千人もの戦死者を出し、維新の総仕上げとなるための”人柱”となってしまった薩摩。
十年前、この国が会津人の血の上に新しい国家を築いたように・・・
そのために”みな、抱いて”いった西郷。
「西南戦争」を見終わったあと、思わず以前録画していた第1話を見返しました。
冒頭の南北戦争の終結時、草笛さんのナレーションはこうでした。
“内戦は深い傷を残した。 しかし、そこから立ち上がり、
苦しみの先に未来を見つめた人々が やがて新しい国づくりに向けて歩き出してゆく”
八重の”探していた答え”が、いま、脳裏をかけめぐります。
西郷はじめ「新しい国づくり」、という大義名分を掲げて戦いにあけくれる男たちが
どんなに血を流し、殺し、破壊しあっても、
女たちは新たな命を生み、はぐくみ、平和な世界を構築する力をもっている・・・
そのための、女たちの学び舎。
薩摩の京藩邸を覚馬に託した西郷の撒いた種が、同志社という学校でめぶくとき、
そこには、男・女わけへだてない平和な文明の町が出来ている気がします。
武力で押しつぶされることのない、本当の文明の町が・・・。
人物あらかると

昔はニガテなタイプだったのに、いつの間にか大好きになっていました、佐川さま。最近は、若い時の様に血気盛んな男から、戦い抜いてきた男の真の強さや落ち着きがにじみ出て、頼もしさこの上ないこと、守護職時代は舞を披露してくれたり、尚之助の洋式調練では、ヘタレの藩士達の先達となって模範を示した佐川さま。断末魔のときでさえ、これぞ会津武士!という会津の“散りゆく美しさを実感させてくれました。

<佐川官兵衛・あらためて紹介>
剣技と馬術に優れた、会津藩きっての猛将。江戸で喧嘩沙汰から人をあやめてしまったが、容保の温情にて一命をとりとめる。謹慎後は京の市中警護にあたる別撰組を統率。鳥羽伏見の戦いでは退却するとき悠然と傘をさしていたことから敵味方に「鬼の官兵衛」「鬼佐川」とたたえられた。会津戦争では長岡藩の河井継之助と連携して北越戦線で活躍するなど、若松城の開城寸前まで新政府軍の脅威となった。戦争後しばらくして300名の旧会津藩士を率いて警視庁に奉職。運命の雪辱戦である西南戦争で名誉の戦死。

その佐川官兵衛扮する中村獅堂さん、「八重の桜では」”男が惚れる男”を演じ切りたいと熱く語っておられました。愚直なまでにまっすぐなところや、最後まで槍を使い続けるかたくなさは男として憧れる、とも。美雨的には、勇猛果敢な官兵衛のイメージをしっかり創りあげつつも、ふとしたときに見せる優しさや温かさも、魅力的に演じられるのは、やはり中村獅堂さんの器の大きさ、引き出しの多さによるものだと思います。
反面、「長命寺での戦い」では飲み過ぎが原因で致命的な遅刻をしたりと(笑ってはいけないシチュエーションなのですが)今まであまり好きでなかったツワモノ一本やりの官兵衛どのの、人間臭さに惚れました。生臭い戦の中にあって、どこかホッコリしてしまうシーン、忘れられません。あの出陣前夜の容保との熱い盛り上がりとの落差が激しすぎて、コントでしたね。(笑)
天然系で、こんな笑いを醸し出す佐川さま、最高です。
武士がもっとも武士らしくあった会津藩にあって、最後の武士の輝きを放つがごとく美しく散った佐川さま、本物のもののふの魂や、愛する者を守るために己の道を突き進んでいく強さを教えてくれました。
人物あらかると

上野銅像でもおなじみ「西郷どん」のイメージに定着ありすぎて、当初まったく受け入れなかった吉川版西郷どん。合う合わない賛否両論あるけれど、内藤プロデューサーが吉川さん御指名の上「西郷さんのイメージをあえて外しましょうよ」と持ちかけたというから、今回の八重では、何か特別な主張があるのかも?とずっとその「何か」を追ってきました。いまは誰より、吉川版・西郷がカッコイイと思う。
「おいが みな、抱いてゆく」の祈りでは、思わず一緒に手を合わせてしまった美雨でした。

薩摩といえば西郷どん、西郷どんといえば薩摩・・・西郷隆盛演じる吉川晃司
薩摩藩の下級武士の家に生まれたが、名君・島津斉彬の薫陶を受け、早くから他藩の諸氏と交わる。第2次長州征伐以後、討幕の指導者となり、戊辰戦争では総参謀として征東軍を指揮し、江戸城を無血開城させた。維新後に参議となるが、征韓論に敗れて下野。その後、西南戦争で敗北し、自刃した。
西郷隆盛演じる吉川晃司さん
(1965年広島県出身、1984年「モニカ」で歌手デビュー。映画、ドラマでも活躍中)
吉川さんは、この作品では敵側の役でありながら、幕末から明治にかけての時代を会津側から見ることの新鮮さを感じているという。今までの維新ドラマのような勝ち組からの台本でなく、八重の桜は勝者の歴史の合間を縫って書かれているので、吉川さん自身、新しく知ることがいろいろあって、思わずなるほどと感心することも多いそう。
体型の違いや、顔の似てる似てないは、自分ではどうしようもないので、勘弁してください、との茶目っ気も、アグレッシブなばかりの若い時の吉川さんから、渋皮の向けた大人の貫録を感じます。

吉川さんの「切なさを殺せない」好きでした。BGMにドゾ♪体、柔らかい~(>_<)
youtubehttp://www.youtube.com/watch?v=aycV59FkfwY
確かに、吉川さんといえば「るろうに剣心」のイメージのような、刀を振りまわすような、エッジの効いたサムライを演じたことはあっても、西郷どんのように器で人を束ねていくタイプはまるでイメージ無かった気がします。
吉川版西郷はむしろ哲学的で、前々回のセリフ「枯葉が落ちねば、次の花は咲けんな」などは、おそらくヨハネ福音書の「一粒の麦が地に落ちて死なねば、ただ一粒にすぎぬ。しかし死ねば、多くの実を結ぶ」・・・のように思いますが、クリスチャンでもない彼がこのようにいつも哲学的な言葉を発するのが大変印象的でした。
おそらく西郷は近代化の邪魔になる不平士族をまとめて、わが身もろとも玉砕するつもりだったのでしょう。「おいが、みな、抱いてゆく」ように・・・
「八重の桜」での西郷をみていると、彼はなるべく戦をしないように、しないように、無駄な犠牲を出さないように努めている印象を受けますね。会津側からすると敵となるわけですが、憎々しくない。むしろ、敬天愛人を地でいく、懐の深い、柔らかい感じですら見えてしまう・・・これがもしかしたら、上に書いた、内藤プロデューサーの狙う「何か」だったのかも?なんて思えた、吉川版西郷どんでした。
「八重の桜」各話あらすじ&感想
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html
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