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2013.09/01 [Sun]
八重の桜 第35回「襄のプロポーズ」 あらすじ&感想 ~それでいい、むしろ、尚之助どのを忘れないでいてほしい~
[八重の桜] ブログ村キーワード

NHK大河ドラマ 八重の桜 第35回「襄のプロポーズ」
最新の回のあらすじ&感想はこちらをクリック↓(「八重の桜」各話あらすじ&感想)
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html
八重の桜35話の視聴率は14,2%。つらくとも受け入れなければ、心の戦は終わらない。語りかければ、亡くなった愛しい者たちが答えてくれる・・・土に手をあて森羅万象に問いかける不思議な男のプロポーズ。良いのです、それで!むしろ尚之助さんを忘れないでいて欲しい・・・私の伴侶となる人は、あなたひとりしかいない!
NHK総合20:00~20:45 八重の桜HP http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/

八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA
第35話あらすじ
明治8年の夏、京都に、キリスト教主義の学校を作ろうと決意した新島襄(オダギリジョー)は、覚馬(西島秀俊)に相談を持ちかけ、山本家の居候となった。初めて山本家で過ごした夜、庭で考え事をしていた襄を、みねと久栄がお化けと見間違えて大騒ぎになるが、襄は眠れない原因を悩ましげに答える。「実は八重さんにプロポーズしました」驚いて身動きがとれなくなった覚馬と家族に、襄は、つい勢いで求婚し、八重を怒らせてしまったかもしれないと打ち明ける。
男子厨房に入るべからず、が当然だった時代、食べた皿を片付け、女性達と一緒に台所で洗う 明るく気取りのない襄に、母の佐久は肯定的で、覚馬も、悪い縁談ではないとうなずく。
そんな襄の憂いをよそに、八重(綾瀬はるか)は気丈に女紅場(公立女学校)で生徒達を指導していた。その姿を遠目に眺め、眼を赤くした女性がいた。「八重さん、変わってねえ」時尾(貫地谷しほり)であった。時尾は昨年秋に新選組の斉藤一(藤田五郎と改名)と結婚し、今は佐川官兵衛の紹介で警視庁に出仕している夫をあらためて紹介する。八重は再会を喜び、覚馬も2人が結婚したことに驚く。 祝言での仲人は大殿(容保;綾野剛)で、大蔵(浩と改名)と佐川官兵衛が全て取り計らってくれたと話す。容保を心配していた覚馬に、斉藤はなおも「大殿は散り散りになった藩士達の身の上を案じておられ、戦で亡くなった霊を毎日供養してまわっている・・・覚馬さん達の暮らしぶりを話したらどれほど喜ばれるか」と言葉を続ける。一同は思わず涙ぐみ、また、皆で辛い年月を生き抜いたことを感慨深く振り返る。 そこに襄がうかない顔をして戻ってくる。聞けば知事の槇村の態度が急変し、聖書を教えてはならぬ、宣教師を雇うなと、当初の約束を撤回したという。というのも京都の坊主たちがキリスト教反対を唱え、大勢で抗議しているというのだ。「とうとう始まったか」と溜息をつく覚馬。
いつしか夜も更け、襄と意気投合した斉藤は 飲み明かし「殺伐としていた京都時代の血なまぐさい日々、いいことは無かったのに、妙に懐かしく、近頃京都の夢ばかり見る」と話す。皆が命がけだった京都を一度妻に見せたくて連れてきたのだ、と。そんな斉藤から、襄は 人は過去からは逃れられず、受け入れるしかない事を察する。
時尾は時尾で、八重に、大切な人を辛い境遇に巻き込みたくないがため、何もかも一人で背負って、助けも拒んだ尚之助の気持を汲めば、自分を忘れてくれという彼の気持ちをわかってやれと諭す。
それからしばらくして、八重のもとに東京にいた尚之助(長谷川博己)が肺病で死去したという知らせが届く。死ぬ前に、尚之助は会津が守護職を拝命してから何が起きたか、国許サイドから見た顛末書「会津戦記」を記し、最後まで自分にできることを必死で続けていたことを知った山本家家族。襄もまた、どん底にあっても力強い字を書いていた尚之助を脳裏に思い浮かべるのだった。
襄の学校設立は事態が好転しないまま秋を迎えていた。覚馬が槇村に直談判に乗り込むと、槇村は寺の反対が強いことと外国人宣教師が学校で教えるのは法令違反だと冷淡に答える。言いだしっぺの木戸(桂小五郎)の後押しがあるのだから政府に働きかけてもらえばよいという覚馬に、政府に睨まれたくないし、二年前の小野組事件で学習したから、時局を読まないと汚点になる、と言い放つ。覚馬は食い下がり、槇村が誰の為に政を行っているのか問う。京都のためか、ここでの成果を手土産に政府に取り入るためか。すると槇村は本音むき出しに「そんな事、会津もんに話しても仕方ない、あんたは所詮 日の目をみない側の人間じゃ」と吐き捨てる。
実際、耶蘇教に反対を唱える京の僧侶たちの説得に奔走する襄はいつも門前払いをくらい、路上に叩き付けられていた。
しかし、そんな襄は、悲しみに暮れる八重を強引に人力車に乗せ、弟・三郎(工藤阿須加)が戦死した場所へと連れて行く。八重は激しく動揺するが、襄がこの場所に連れてきた理由を聞いて、涙を流す。尚之助、父権八、三郎・・・
大切な人たちが亡くなったことをしっかり受け止めなければ、死んだ者達は安らかに眠れない――八重の心の中の戦も終らないこと。八重が幸せであるあるように誰より尚之助が願っていること。彼を忘れられなくてもかまわない――むしろ、忘れずにいてほしい。「尚之助さんに喜んでいただける夫婦になりたいのです・・・!」
八重に微笑みがもどったとき、静かに頷き答える。「あなたと一緒に、ホームを作ってみたくなりました」。
・・・ということで、次回は第36話「同志の誓い」です。
第35話ぷち・ギャラリー
八重さんにプロポーズしました。

プ?ぷろぽ??

<山本家にすぐなじむ襄>
みね「男の人が台所に入るものではありませんよ~?」

襄「そうですか?私は食いしん坊なんで台所が大好きですが・・♪」
<斉藤と時尾の祝言 藩主だった容保の殿が仲人を>
時尾と斉藤の祝言

<容保の十何年ぶりの微笑み>
ようやく ひとつ、報いることが出来た・・・ 容保ウルウル

最後まで会津に尽くした者たちにいつか報いたいと願っていた。しあわせに暮らせ・・・!
ウンウン (かつて時尾が想っていた大蔵もニッコリ

「時尾どの、美しい嫁さまぶりだ・・・!」 時尾 胸キュン
八重さんが逆に尚之助様の立場だったら、忘れてくれと、いわねえべが?

<その頃 尚之助は>
しっかりしろ尚之助!まだ・・書くことがある!

会津は逆賊でないと国許から見てきた会津戦記を執筆していたが・・・ ゲホゲホッ
バターン 八重・・さん・・・

せ、先生っ!?

<尚之助の訃報に、山本家は・・・>
何ひとつ報いてやれなかった。尚之助は病に倒れたんではねぇ。

あの戦で死んだんだ・・・ゆくっくりと時をかけた戦死だ!
尚之助の記述を見た襄 「なんて力強い字だ・・・死を目前にした人のどこにこんな力が!?」

最後の一文字まで気迫がこもっています・・・
<襄がピクニックに選んだ場所は>
三郎が散った鳥羽街道の戦地・富ノ森へ八重を連れ出し、森羅万象に問いかける襄
亡くなった人たちはもうどこにも行きません。あなたのそばにいてあなたを支えてくれます。

あなたが幸せであるように、強くなるように。
尚之助の声が響いて・・・「あなたは新しい時を生きる人だ」

「八重さん、お腹すきませんか?」「何ですか?これ」

サンドイッチです。ゴードンさんのキッチンで、私が作ったんです
パフン

「おいしい・・・」 襄「でしょう?」
<槇村の変貌>
覚馬「槇村さん、あなたは誰のために政を行っているのですか?
京都のためですか?それともここでの成果を手土産に政府に取り入るためですか?」

槇村「そげいなこと会津のもんに話しても仕方なかろう。あんたは所詮日の目を見ん側の人間じゃ!
坊主と宣教師のことが解決せんうちは学校設立は認められん。」
「何度きても、あかん!耶蘇の話など聞く耳もたんわ!帰れ!!」イタタタッ

今日も門前払い
八重さん、改めてお願いします・・私の妻になってください。

わだすは・・尚之助様を忘れることはできねぇから・・・

いいのです、それで。むしろ忘れないでいてほしい
私は川崎さんに喜んでいただけるような夫婦になりたいんです!

私の伴侶となる人はあなたしかいない・・・あなたとならともに歩んでいける
素晴らしいホームを築ける・・八重さんどうかお願いします!!

「はい」
エッ?今、はいと言いましたよ・・!

新島様は、本当に面白い。わだす、あなたと一緒にホームをつくってみます

ヤッタ~!ありがとう!!

すぐに抱きつく困った癖のある襄であったが・・・
八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記
久々に、笑顔の花がたくさん咲いた、35話。
戦争の悲しみをひきずりつつも、みながみなそれぞれに新しい希望に向かって歩む道を見つけた、喜びの涙と笑顔が画面にあふれていました。
特記すべきは、もう二度と見れないと思っていた容保の殿の笑顔がみれたこと・・・その殿が「仲人を会津に尽くしてくれた者に報いたかった・・・ようやく一つ、叶った」と涙を浮かべて寿ぐ言葉に、時尾達だけでなく会津の方達はどれほどの感動を覚えたことでしょう。
覚馬もひるみ、佐川も感じていた、殺意をふくんだ狂犬のようだったあの斉藤が、何故か惚れこんだ会津。
さんざんな目に遭った会津を最後まで見捨てなかった斎藤に、籠城戦でそっと顔の血をぬぐい、「今まで助けてくれてありがとなし」と礼を言っていた時尾。
いくさ場に咲いた小さなロマンス。
傷つきあったふたりの小さな心のふれあいが、いつのまにか実を結んだ、心が温かくなるシーンでした。
その斉藤の
「時尾、アメリカでは、女が男の前を歩くそうだ」
と、呆れて笑う台詞を、さらに笑ってしまう視聴者は多かったことでしょうね。
なぜなら、この物語のヒロインは、男の前を歩いてゆく女性。
それも決して八重自身が望んだわけでなく、世にもまれなる二人のパートナーが”男の前を歩く女性”、ひいては”時代の先をゆく女性”をつくりあげる過程がこのドラマの面白さであり、醍醐味でありますね。
八重というと“新島襄の妻”のイメージが一般には強いものの、振り返れば、会津時代の川崎夫婦もまた、新しいタイプの夫婦として描かれていました。
最初の夫を演じた長谷川博己さんもインタビューの中で、(新時代の夫婦像でさきがけだった八重について)
僕としては、その礎はもしかしたら尚之助がつくったのではないかと思っているんです(笑)。旦那様と呼ばなくていいとか、結婚しても敬語を使うとか、そういう新しい感じが面白いです。
・・・と語っていらしたのが印象的でした。
ハンサムウーマンの下地を作ったのは、ほかならぬ、尚之助の功績(?)かもしれませんね。
やや尚之助をひっぱりすぎていると思えた京都編ですが、八重のシナリオ作家、山本氏でさえ惜しむほど、「尚之助夫婦があまりに素敵に演じてくださった」ことと、視聴者の反響が大きかったことが偲ばれます。
川崎家子孫の現当主、川崎修さん曰く、2013年の大河ドラマに「八重の桜」が決定して以来、先祖がらみで尚之助にまつわる不思議な縁があちこちから繋がり、今まで知りえなかったことを経験したそうです。「まるで、若くして不幸な死を迎えた尚之助の霊が私の背中にいて”後悔なんかはしていない、ただ私の真実の姿をみなに解ってもらって欲しいだけだ”と言っているとしか思えない」と、綴られていました。
そして尚之助の遺志は、このドラマで、見事に具現し、ややもすればドラマ構成上メインの夫であった筈の新島襄以上に深く視聴者のこころに刻み込まれたことでしょう。
以前違うドラマで、チープな存在として描かれ あまりに「不名誉なレッテル」を貼られてしまった尚之助。
時空を超えて、
闇に葬り去られた彼の歴史が、今まさに既知の歴史に真実を以て刻まれていくさまを、こうして目の当たりにしている私達が、いる。
”逃げた夫から一途な男へ”素晴らしき復活を果たした尚さんに、声を大きくしてそう告げてあげたいですね。(涙)
飢餓に苦しむ旧会津藩の人々を救うために、自らを犠牲にした尚之助。
歴史研究により史実で明らかにされていますが、ドラマでも尚之助はつくづく但馬人の勤勉さ、真面目さ、正義感、静かなる勇気の持ち主であることをアピールしましたね。
八重の生涯は会津の人々に勇気を与えたように、尚之助の生涯は但馬の人々に勇気と霊感を与えたのではないでしょうか。
ちなみに、尚之助の戒名は川光院清嵜静友居士。
この戒名が示す通り、一途で清らかな勇気を友(会津)に捧げた尚之助の霊魂は、いまも静かに故郷の出石に眠っています。

参照http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1055.html
参照http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1060.html
参照http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1069.html
歴史家のあさくらゆうさんによれば、史実では猪苗代の離別後、八重と尚之助の邂逅は一度も無かった、といいますが、あえて二人を再会させ、ドラマにこのように何度も登場させるということは、このドラマに、ある強いメッセージが秘められているのでは、と感じるようになり、それが35話で確信に変わったときは、思わず涙しました。
私達日本人の中にある、新しい愛を迎えるにあたって、過去の人間に「けじめをつける」とか、「こころを切り替える」というモラルは、必ずしも必要ではない、という考え方。 切り捨てるよりはむしろ同化させ、悲しみも、喜びも、共に分け合っていこうという襄のプロポーズの中に、キリスト教独自の宗教観を感じたのです。”神の大愛”というものなのでしょうか。
ある意味、アメリカ的で、たいへん合理的なイデアではありますが、それは並みの人に出来ることでなく、襄だからこそ与えられるもの。
襄と結婚した八重が尚之助を忘れたことは決してなかった。しかし、それ以上に襄の愛情は深く、その溢れる愛情のために、襄の死後でさえ川崎尚之助を語ることはなかった、と伝記にはあります。プロテスタントに入信した八重にとってみれば、主に召されたときに話せばよいことと信じていたに違いありません。
尚之助と八重ーー、ともに昇華したふたりは、きっと天国で再会し、その互いの人生を語り合ったことでしょう。
しかし、まだまだ八重に残された課題は山積しています。
9月のOPバックに象徴される、めくるめく出会いと別れが交錯する運命の不思議なかたち。
人生は万華鏡のようです。
「あなたと一緒に、ホームを作ってみます」
彼女の旅立ちは、いつも明るいですね。
幕末のジャンヌ・ダルクからハンサムウーマンに・・・これから社会が大きく揺れ動く明治という時代の中を、八重と襄という、世にもまれな夫婦があるいていきます。
キャスティング❤今日のフィーチャー
<進化する斉藤一 名前いくつある?>
戊辰戦争で散り散りになって解散した新撰組で、ひときわ殺気と異様を放つっていた斉藤一。
このドラマ、なじょして土方歳三でも近藤勇でもなくやたらと斉藤一が?と思った人も多いでしょうね。
それもその筈、会津が舞台の「八重の桜」では、会津サイドでキーパーソンと絡めていたんですもんね。
大蔵に失恋して泣いていた時尾・・・一生独身を貫くと八重に誓っていた幼いばかり時尾さんが本当の大人の恋を知り、選んだ男性は? しかも初恋の大蔵が実質的なキューピッドになるとは・・なんとも粋な演出!と思えば、これはれっきとした史実。事実は小説よりも奇なり?しかし、初恋の人とは結ばれないというけれど、結婚相手は全くタイプの違う人を選ぶのは女性の常なんですね。^^
会津に惚れ会津に殉じた新撰組の剣士、斉藤一を演じるのはDragon Ashの降谷建志さん
壬生浪士組から新撰組へ 維新後 西南戦争に従事する斉藤

ダンダラ模様の羽織を着て、ボサついた髪を大髷(おおたぶさ)に結った斉藤一は新撰組三番隊組長。剣の達人と言われ、組の中で剣術師範を務める。のちの会津戦争にも参加した斉藤一ら新撰組と会津藩の堅い絆は、25話の土方との会話でもよく描かれていました。
斉藤「私は会津に戻ります!今会津を捨てるのは義にあらず!」土方「惚れた女でも?」
斉藤「ええ、愚かなほどまっすぐな会津という国に・・・!」
「八重の桜」名ぜりふ百選にも選ばれそうな名句でした。
彼は維新後、藤田五郎と改名し、八重の親友時尾と結婚しますが、このヒト謎が多く、それこそ何度も改名したり変名を使ったりしてます。というのも、新選組に恨みを持つ人に命を狙われる可能性が高かったからとか。
ざっとあげて
山口一 → 斉藤一 →山口二郎(次郎)→ 一戸伝八 → 藤田五郎、といくつも改名し、様々な名を残したのも 新撰組幹部という前身を隠す為の処置であったという。戦争で生き残り、その後上京。警視局に警部補として就職、時尾と結婚後は、勉・剛・龍雄の3人の男子に恵まれました。明治24年4月、警部として警視局を退職。直ちに東京高等師範学校附属東京教育博物館看守となり、さらに退職後はお茶の水女子高等師範学校の書記となり、校内の見廻り警備を兼ねて勤務しました。享年71歳。新選組では最も長寿ではないでしょうか。
ふたりの出会い 戦場に咲いた小さなロマンス

新選組総長近藤勇を弔う斉藤と、八重の弟三郎の冥福を祈る時尾
こんな大人物の斉藤一へのオファーがあったとき、降谷さんは「なぜ俺なんだ?」と疑問を抱いたという。降谷さんは東北でロックライブをしては被災地を応援してきたこともあり、自分が出演することで1円でも東北への支援になるならと引き受け「ことあるごとに人を斬って汚れ仕事ばかりやるようなすさんだ男ですが、そんな闇の住人である斉藤にだんだん雲が割れて光が差し込んでくる未来が楽しみ」と語っています。
そうえば、結婚を経てどこか丸くなった(!?)斎藤の表情にも、進化がうかがえますね。
意外と知られていない斉藤一の素顔がみれたり、その成長を追っていけるドラマって、この「八重の桜」が初めてではないでしょうか。こんなところも楽しみですね!
八重の桜
あ
ら
かると 明治を駆け抜ける八重、はじめて物語
さきがけて咲く八重の生き方
会津戦争の戦火の中を生き抜き、京都で新たな生き方を模索した八重。
その生涯は戦いの日々であったと同時に、新時代を生きる女性の「さきがけ」となるものでした。
鳥羽・伏見の戦いで戦死した弟・三郎の形見の着物をまとい、大小の刀を差した”男装”で最新式のスペンサー銃を手に戦い、当時女性の力を借りるなど恥でしかない武士社会での因習をくつがえし、大砲による砲撃の指揮まで執った八重は、新しい時代の風穴をあける「さきがけ」に間違いありません。

八重が活字を拾った京都ガイド。(国立国会図書館蔵)
時代は明治に進み、プロテスタントの結婚式で、日本で初めての新郎新婦となった八重と襄。
ちなみに八重は、いくつ さきがけだったんだろう?と思うくらい日本で”初めて”が多い女性ですね。
スペンサー銃を撃ったのも彼女が初めて、女紅場の教師として公務員の月給を受けたキャリアウーマンとしてもさきがけでした。
中でも、明治6年京都博覧会が開催されたとき京都府顧問であった覚馬が外国人向けに英文の観光ガイドブックを製作したとき、ドイツから取り寄せた最新式の活字印刷機を使用し、初めて英文活字を拾っのが八重だったことは語り継がれています。英語を真っ先に学んだ彼女の知識が生かされたんですね。
左;明治38年撮影の看護婦姿の八重

(右)八重が習得した裏千家の茶道許状「奥秘大圓傳法真双二段」
その他にも、第一回帝国議会開催直後の明治23年12月、6人の女性が初めて議会を傍聴したとき、その一人が八重でした。また、裏千家の女性茶人として初めて奥秘大圓傳法の茶道許状を受けた女性であり、日清・日露戦争で率先して看護にあたり皇族以外の勲七等宝冠章受賞者となるなど、(他にも)彼女の”初めて”は、いろいろあります。本当の草分けなんですね。いまでは当たり前のことでも、さきがけとなる人は決まって世のそしりを受けますし、迫害も受けます。
私達女性は、八重のような先人のおかげで、今の時代あたりまえのように女性の自由と権利を享受しているといって過言ではないと思います。 ハンサムウーマンとは、さきがけて咲く八重の生き方に象徴される言葉なんですね。
美雨のぷち・八重の桜紀行その⑭
会津藩主松平家別荘・御薬園ををたずねて
容保の安住の地、会津・御薬園を訪ねてきました❤
もう二度とみれないと思っていた、容保の殿のほほえみ・・・
深い悲しみの中から必死で絞り出されたような笑顔が、痛々しいばかり・・・綾野さん上手ですね。
それでもやはり、とのの笑顔が見たい!と切望している容保ファンは多かったことでしょう。
容保が愛した御薬園。やっと笑顔を取り戻し始めた容保が会津を恋しく思い、晩年ここに戻り住んだそうです。
亡くなったのは東京ですが、容保にとって心安らぐついのすみかは御薬園だったのかもしれませんね。
八重の桜の撮影でも、養子として会津にやってきた容保が照姫に会うもみじのシーン、また、会津戦争敗北後、処分待ちで暫く蟄居していた時も、ここが使われていました。
回想シーン 2話より

容保公と照姫の出会い

御薬園の由来
領主蘆名直盛(あしななおもり)の時代に霊泉の湧くといわれる池に蘆名盛久(もりひさ)が別荘を建てたことにはじまるという。その後、会津松平家3代正容(まさかた)が近江より園匠を招き池泉回遊式大名型山水庭へ改造され、大名らしい風格の漂う庭園や、薬草によって疫病に苦しむ領民を救いたいという藩主の願いが詰まった薬草園と、さらには秩父宮妃殿下となられた容保公の孫・勢津子妃ゆかりの建物「重陽閣」など、会津の歴史が息づく心地よい安らぎの空間が広がっています。以後、歴代藩主の庭園といて重用されました。

御薬園全景 見取図

庭園の中央ひろがる心字(しんじ)の池のほとりに建つ御茶屋御殿から眺める庭園の景色は、この御楽園随一。
心字の池と、池の中島に建つ楽寿亭(らくじゅてい)、はるかに東山の借景が一望できます。
<茶屋御殿>
晩年、会津を恋しがり戻ってきた容保公が住んでいた棟で、茶屋御殿としていまもサービスを

御薬園は霊感漂う、気の良いところ。また木がすばらしい
茶席、書院、御慰所として用いられ、戊辰戦争では新政府軍に奪われ西軍の治療所にもなりました。
建物内部には、当時ついた刀傷が何か所か残されていて、戦の生々しさを物語っています。
刀傷の残る柱の場所を教えてくれた、茶屋御殿の会津美人スタッフさん

八重の桜ファンで、建物から歴史の説明までしてくださいました
容保目線 茶屋から見た心字池にうかぶ楽寿邸

入場はお抹茶+手作り胡麻羊羹つきで500円でした。

この景色を眺めながら、あの日あのときここで殿もお茶を嗜まれたと思うと感無量です
さらに、ここで素敵なものを発見!
美しい会津茶碗 「八重の桜」記念に特別に焼かれたもの

<会津茶碗”八重の桜”記念茶碗>
会津保科正之公によって葺き替えられた鶴ヶ城の赤瓦の赤と、”日本の桜”をイメージした赤茶碗が製作されました。洒落ているのは、この赤茶碗、八重がクリスチャンであったことと、篤志看護婦として活躍し、日本赤十字社の社員であったことから高台(底の部分)が十字高台になっていること。
色が何とも言えずシックで、わび、さびを感じる風合い・・・手に取ってみましたが、カタログよりもずっと素敵でした。八重の桜イヤーである今年、特別記念ということでリーズナブルな価格で提供しているのも嬉しいサービス。美雨もひとつ欲しくなってしまいました。

<会津藩主・容保の孫娘、勢津子妃殿下ゆかりの重陽閣>
この重陽閣は、勢津子妃殿下と生家の家族が会津を訪れた際に宿泊した東山温泉の新瀧(しんたき)旅館別館を移築したもの。勢津子妃殿下の誕生日が9月9日であることから、重陽の節句にちなみこの名がつけられたそう。1階には勢津子妃殿下の功績を後世に伝えるため、それを記念して「想ひ出の部屋」が開設され、当時の写真が展示されています。

秩父宮妃勢津子殿下
勢津子妃殿下は松平容保の孫にあたり、民間人からはじめて皇族に嫁した女性。昭和3年、先祖に婚約の報告をするべく会津若松を訪れた際には、この結婚によって維新で朝敵とされた会津の汚名がそそがれると、のべ40万人ものひとびとが希望に沸きかえった。
御皇室に嫁がれた、会津の姫君・勢津子さまの思い出の品々

伝説の、銀のボンボニエールもここに・・・!目からウロコでした。
思ひ出の部屋
秩父宮勢津子さまが姫君の時代から晩年までの写真等を展示しているギャラリー

この奥にも部屋がギャラリーとなって連なっています
<重陽閣ティールーム>
重陽閣の2階には、勢津子妃殿下ゆかりのイングリッシュ・ティーを楽しみことができる優雅なカフェが、英国王室御用達の紅茶と、勢津子妃殿下が好んデザートを復元した季節のおデザートがいただけます。「季節のガレットランチ」も好評。
秩父宮妃殿下ゆかりのお部屋で、庭園を眺めながら季節を味わう紅茶とデザート・・・至福のひとときです
この日、偶然ですがこの窓越しから白無垢を着た花嫁さんを見ました。

プリンセス・チチブ
イギリス人J・ハークネスより勢津子妃殿下に贈られたバラ。年に数回、ピンク色の上品な花を咲かせる。

<御楽園の目玉、オタネニンジン(高麗人参)>
会津松平2代正経(まさつね)は、領民を疫病から救うため、この庭園で薬草の栽培をはじめました。現在も、当時の栽培地跡を薬用植物標本園として、会津産の薬草をはじめとする400種の薬草が育てられていますが、とりわけこの”オタネニンジン”は貴重で、守護職時代の経済をささえた高価な植物でした。
初めて花を見た、オタネニンジン(高麗人参)に感動。半径5mも香ってきます!薬草ってかんじ。

みなさん、会津にこらんしょ。御薬園も是非訪ねてくなんしょ

美雨の選んだ茶碗を持つ美しいスタッフさんより
「八重の桜」各話あらすじ&感想
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明治8年の夏、京都に、キリスト教主義の学校を作ろうと決意した新島襄(オダギリジョー)は、覚馬(西島秀俊)に相談を持ちかけ、山本家の居候となった。初めて山本家で過ごした夜、庭で考え事をしていた襄を、みねと久栄がお化けと見間違えて大騒ぎになるが、襄は眠れない原因を悩ましげに答える。「実は八重さんにプロポーズしました」驚いて身動きがとれなくなった覚馬と家族に、襄は、つい勢いで求婚し、八重を怒らせてしまったかもしれないと打ち明ける。
男子厨房に入るべからず、が当然だった時代、食べた皿を片付け、女性達と一緒に台所で洗う 明るく気取りのない襄に、母の佐久は肯定的で、覚馬も、悪い縁談ではないとうなずく。
そんな襄の憂いをよそに、八重(綾瀬はるか)は気丈に女紅場(公立女学校)で生徒達を指導していた。その姿を遠目に眺め、眼を赤くした女性がいた。「八重さん、変わってねえ」時尾(貫地谷しほり)であった。時尾は昨年秋に新選組の斉藤一(藤田五郎と改名)と結婚し、今は佐川官兵衛の紹介で警視庁に出仕している夫をあらためて紹介する。八重は再会を喜び、覚馬も2人が結婚したことに驚く。 祝言での仲人は大殿(容保;綾野剛)で、大蔵(浩と改名)と佐川官兵衛が全て取り計らってくれたと話す。容保を心配していた覚馬に、斉藤はなおも「大殿は散り散りになった藩士達の身の上を案じておられ、戦で亡くなった霊を毎日供養してまわっている・・・覚馬さん達の暮らしぶりを話したらどれほど喜ばれるか」と言葉を続ける。一同は思わず涙ぐみ、また、皆で辛い年月を生き抜いたことを感慨深く振り返る。 そこに襄がうかない顔をして戻ってくる。聞けば知事の槇村の態度が急変し、聖書を教えてはならぬ、宣教師を雇うなと、当初の約束を撤回したという。というのも京都の坊主たちがキリスト教反対を唱え、大勢で抗議しているというのだ。「とうとう始まったか」と溜息をつく覚馬。
いつしか夜も更け、襄と意気投合した斉藤は 飲み明かし「殺伐としていた京都時代の血なまぐさい日々、いいことは無かったのに、妙に懐かしく、近頃京都の夢ばかり見る」と話す。皆が命がけだった京都を一度妻に見せたくて連れてきたのだ、と。そんな斉藤から、襄は 人は過去からは逃れられず、受け入れるしかない事を察する。
時尾は時尾で、八重に、大切な人を辛い境遇に巻き込みたくないがため、何もかも一人で背負って、助けも拒んだ尚之助の気持を汲めば、自分を忘れてくれという彼の気持ちをわかってやれと諭す。
それからしばらくして、八重のもとに東京にいた尚之助(長谷川博己)が肺病で死去したという知らせが届く。死ぬ前に、尚之助は会津が守護職を拝命してから何が起きたか、国許サイドから見た顛末書「会津戦記」を記し、最後まで自分にできることを必死で続けていたことを知った山本家家族。襄もまた、どん底にあっても力強い字を書いていた尚之助を脳裏に思い浮かべるのだった。
襄の学校設立は事態が好転しないまま秋を迎えていた。覚馬が槇村に直談判に乗り込むと、槇村は寺の反対が強いことと外国人宣教師が学校で教えるのは法令違反だと冷淡に答える。言いだしっぺの木戸(桂小五郎)の後押しがあるのだから政府に働きかけてもらえばよいという覚馬に、政府に睨まれたくないし、二年前の小野組事件で学習したから、時局を読まないと汚点になる、と言い放つ。覚馬は食い下がり、槇村が誰の為に政を行っているのか問う。京都のためか、ここでの成果を手土産に政府に取り入るためか。すると槇村は本音むき出しに「そんな事、会津もんに話しても仕方ない、あんたは所詮 日の目をみない側の人間じゃ」と吐き捨てる。
実際、耶蘇教に反対を唱える京の僧侶たちの説得に奔走する襄はいつも門前払いをくらい、路上に叩き付けられていた。
しかし、そんな襄は、悲しみに暮れる八重を強引に人力車に乗せ、弟・三郎(工藤阿須加)が戦死した場所へと連れて行く。八重は激しく動揺するが、襄がこの場所に連れてきた理由を聞いて、涙を流す。尚之助、父権八、三郎・・・
大切な人たちが亡くなったことをしっかり受け止めなければ、死んだ者達は安らかに眠れない――八重の心の中の戦も終らないこと。八重が幸せであるあるように誰より尚之助が願っていること。彼を忘れられなくてもかまわない――むしろ、忘れずにいてほしい。「尚之助さんに喜んでいただける夫婦になりたいのです・・・!」
八重に微笑みがもどったとき、静かに頷き答える。「あなたと一緒に、ホームを作ってみたくなりました」。
・・・ということで、次回は第36話「同志の誓い」です。
第35話ぷち・ギャラリー
八重さんにプロポーズしました。

プ?ぷろぽ??

<山本家にすぐなじむ襄>
みね「男の人が台所に入るものではありませんよ~?」

襄「そうですか?私は食いしん坊なんで台所が大好きですが・・♪」
<斉藤と時尾の祝言 藩主だった容保の殿が仲人を>
時尾と斉藤の祝言

<容保の十何年ぶりの微笑み>
ようやく ひとつ、報いることが出来た・・・ 容保ウルウル

最後まで会津に尽くした者たちにいつか報いたいと願っていた。しあわせに暮らせ・・・!
ウンウン (かつて時尾が想っていた大蔵もニッコリ

「時尾どの、美しい嫁さまぶりだ・・・!」 時尾 胸キュン
八重さんが逆に尚之助様の立場だったら、忘れてくれと、いわねえべが?

<その頃 尚之助は>
しっかりしろ尚之助!まだ・・書くことがある!

会津は逆賊でないと国許から見てきた会津戦記を執筆していたが・・・ ゲホゲホッ
バターン 八重・・さん・・・

せ、先生っ!?

<尚之助の訃報に、山本家は・・・>
何ひとつ報いてやれなかった。尚之助は病に倒れたんではねぇ。

あの戦で死んだんだ・・・ゆくっくりと時をかけた戦死だ!
尚之助の記述を見た襄 「なんて力強い字だ・・・死を目前にした人のどこにこんな力が!?」

最後の一文字まで気迫がこもっています・・・
<襄がピクニックに選んだ場所は>
三郎が散った鳥羽街道の戦地・富ノ森へ八重を連れ出し、森羅万象に問いかける襄
亡くなった人たちはもうどこにも行きません。あなたのそばにいてあなたを支えてくれます。

あなたが幸せであるように、強くなるように。
尚之助の声が響いて・・・「あなたは新しい時を生きる人だ」

「八重さん、お腹すきませんか?」「何ですか?これ」

サンドイッチです。ゴードンさんのキッチンで、私が作ったんです
パフン

「おいしい・・・」 襄「でしょう?」
<槇村の変貌>
覚馬「槇村さん、あなたは誰のために政を行っているのですか?
京都のためですか?それともここでの成果を手土産に政府に取り入るためですか?」

槇村「そげいなこと会津のもんに話しても仕方なかろう。あんたは所詮日の目を見ん側の人間じゃ!
坊主と宣教師のことが解決せんうちは学校設立は認められん。」
「何度きても、あかん!耶蘇の話など聞く耳もたんわ!帰れ!!」イタタタッ

今日も門前払い
八重さん、改めてお願いします・・私の妻になってください。

わだすは・・尚之助様を忘れることはできねぇから・・・

いいのです、それで。むしろ忘れないでいてほしい
私は川崎さんに喜んでいただけるような夫婦になりたいんです!

私の伴侶となる人はあなたしかいない・・・あなたとならともに歩んでいける
素晴らしいホームを築ける・・八重さんどうかお願いします!!

「はい」
エッ?今、はいと言いましたよ・・!

新島様は、本当に面白い。わだす、あなたと一緒にホームをつくってみます

ヤッタ~!ありがとう!!

すぐに抱きつく困った癖のある襄であったが・・・
八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記
久々に、笑顔の花がたくさん咲いた、35話。
戦争の悲しみをひきずりつつも、みながみなそれぞれに新しい希望に向かって歩む道を見つけた、喜びの涙と笑顔が画面にあふれていました。
特記すべきは、もう二度と見れないと思っていた容保の殿の笑顔がみれたこと・・・その殿が「仲人を会津に尽くしてくれた者に報いたかった・・・ようやく一つ、叶った」と涙を浮かべて寿ぐ言葉に、時尾達だけでなく会津の方達はどれほどの感動を覚えたことでしょう。
覚馬もひるみ、佐川も感じていた、殺意をふくんだ狂犬のようだったあの斉藤が、何故か惚れこんだ会津。
さんざんな目に遭った会津を最後まで見捨てなかった斎藤に、籠城戦でそっと顔の血をぬぐい、「今まで助けてくれてありがとなし」と礼を言っていた時尾。
いくさ場に咲いた小さなロマンス。
傷つきあったふたりの小さな心のふれあいが、いつのまにか実を結んだ、心が温かくなるシーンでした。
その斉藤の
「時尾、アメリカでは、女が男の前を歩くそうだ」
と、呆れて笑う台詞を、さらに笑ってしまう視聴者は多かったことでしょうね。
なぜなら、この物語のヒロインは、男の前を歩いてゆく女性。
それも決して八重自身が望んだわけでなく、世にもまれなる二人のパートナーが”男の前を歩く女性”、ひいては”時代の先をゆく女性”をつくりあげる過程がこのドラマの面白さであり、醍醐味でありますね。
八重というと“新島襄の妻”のイメージが一般には強いものの、振り返れば、会津時代の川崎夫婦もまた、新しいタイプの夫婦として描かれていました。
最初の夫を演じた長谷川博己さんもインタビューの中で、(新時代の夫婦像でさきがけだった八重について)
僕としては、その礎はもしかしたら尚之助がつくったのではないかと思っているんです(笑)。旦那様と呼ばなくていいとか、結婚しても敬語を使うとか、そういう新しい感じが面白いです。
・・・と語っていらしたのが印象的でした。
ハンサムウーマンの下地を作ったのは、ほかならぬ、尚之助の功績(?)かもしれませんね。
やや尚之助をひっぱりすぎていると思えた京都編ですが、八重のシナリオ作家、山本氏でさえ惜しむほど、「尚之助夫婦があまりに素敵に演じてくださった」ことと、視聴者の反響が大きかったことが偲ばれます。
川崎家子孫の現当主、川崎修さん曰く、2013年の大河ドラマに「八重の桜」が決定して以来、先祖がらみで尚之助にまつわる不思議な縁があちこちから繋がり、今まで知りえなかったことを経験したそうです。「まるで、若くして不幸な死を迎えた尚之助の霊が私の背中にいて”後悔なんかはしていない、ただ私の真実の姿をみなに解ってもらって欲しいだけだ”と言っているとしか思えない」と、綴られていました。
そして尚之助の遺志は、このドラマで、見事に具現し、ややもすればドラマ構成上メインの夫であった筈の新島襄以上に深く視聴者のこころに刻み込まれたことでしょう。
以前違うドラマで、チープな存在として描かれ あまりに「不名誉なレッテル」を貼られてしまった尚之助。
時空を超えて、
闇に葬り去られた彼の歴史が、今まさに既知の歴史に真実を以て刻まれていくさまを、こうして目の当たりにしている私達が、いる。
”逃げた夫から一途な男へ”素晴らしき復活を果たした尚さんに、声を大きくしてそう告げてあげたいですね。(涙)
飢餓に苦しむ旧会津藩の人々を救うために、自らを犠牲にした尚之助。
歴史研究により史実で明らかにされていますが、ドラマでも尚之助はつくづく但馬人の勤勉さ、真面目さ、正義感、静かなる勇気の持ち主であることをアピールしましたね。
八重の生涯は会津の人々に勇気を与えたように、尚之助の生涯は但馬の人々に勇気と霊感を与えたのではないでしょうか。
ちなみに、尚之助の戒名は川光院清嵜静友居士。
この戒名が示す通り、一途で清らかな勇気を友(会津)に捧げた尚之助の霊魂は、いまも静かに故郷の出石に眠っています。

参照http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1055.html
参照http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1060.html
参照http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1069.html
歴史家のあさくらゆうさんによれば、史実では猪苗代の離別後、八重と尚之助の邂逅は一度も無かった、といいますが、あえて二人を再会させ、ドラマにこのように何度も登場させるということは、このドラマに、ある強いメッセージが秘められているのでは、と感じるようになり、それが35話で確信に変わったときは、思わず涙しました。
私達日本人の中にある、新しい愛を迎えるにあたって、過去の人間に「けじめをつける」とか、「こころを切り替える」というモラルは、必ずしも必要ではない、という考え方。 切り捨てるよりはむしろ同化させ、悲しみも、喜びも、共に分け合っていこうという襄のプロポーズの中に、キリスト教独自の宗教観を感じたのです。”神の大愛”というものなのでしょうか。
ある意味、アメリカ的で、たいへん合理的なイデアではありますが、それは並みの人に出来ることでなく、襄だからこそ与えられるもの。
襄と結婚した八重が尚之助を忘れたことは決してなかった。しかし、それ以上に襄の愛情は深く、その溢れる愛情のために、襄の死後でさえ川崎尚之助を語ることはなかった、と伝記にはあります。プロテスタントに入信した八重にとってみれば、主に召されたときに話せばよいことと信じていたに違いありません。
尚之助と八重ーー、ともに昇華したふたりは、きっと天国で再会し、その互いの人生を語り合ったことでしょう。
しかし、まだまだ八重に残された課題は山積しています。
9月のOPバックに象徴される、めくるめく出会いと別れが交錯する運命の不思議なかたち。
人生は万華鏡のようです。
「あなたと一緒に、ホームを作ってみます」
彼女の旅立ちは、いつも明るいですね。
幕末のジャンヌ・ダルクからハンサムウーマンに・・・これから社会が大きく揺れ動く明治という時代の中を、八重と襄という、世にもまれな夫婦があるいていきます。
キャスティング❤今日のフィーチャー
<進化する斉藤一 名前いくつある?>
戊辰戦争で散り散りになって解散した新撰組で、ひときわ殺気と異様を放つっていた斉藤一。
このドラマ、なじょして土方歳三でも近藤勇でもなくやたらと斉藤一が?と思った人も多いでしょうね。
それもその筈、会津が舞台の「八重の桜」では、会津サイドでキーパーソンと絡めていたんですもんね。
大蔵に失恋して泣いていた時尾・・・一生独身を貫くと八重に誓っていた幼いばかり時尾さんが本当の大人の恋を知り、選んだ男性は? しかも初恋の大蔵が実質的なキューピッドになるとは・・なんとも粋な演出!と思えば、これはれっきとした史実。事実は小説よりも奇なり?しかし、初恋の人とは結ばれないというけれど、結婚相手は全くタイプの違う人を選ぶのは女性の常なんですね。^^
会津に惚れ会津に殉じた新撰組の剣士、斉藤一を演じるのはDragon Ashの降谷建志さん
壬生浪士組から新撰組へ 維新後 西南戦争に従事する斉藤

ダンダラ模様の羽織を着て、ボサついた髪を大髷(おおたぶさ)に結った斉藤一は新撰組三番隊組長。剣の達人と言われ、組の中で剣術師範を務める。のちの会津戦争にも参加した斉藤一ら新撰組と会津藩の堅い絆は、25話の土方との会話でもよく描かれていました。
斉藤「私は会津に戻ります!今会津を捨てるのは義にあらず!」土方「惚れた女でも?」
斉藤「ええ、愚かなほどまっすぐな会津という国に・・・!」
「八重の桜」名ぜりふ百選にも選ばれそうな名句でした。
彼は維新後、藤田五郎と改名し、八重の親友時尾と結婚しますが、このヒト謎が多く、それこそ何度も改名したり変名を使ったりしてます。というのも、新選組に恨みを持つ人に命を狙われる可能性が高かったからとか。
ざっとあげて
山口一 → 斉藤一 →山口二郎(次郎)→ 一戸伝八 → 藤田五郎、といくつも改名し、様々な名を残したのも 新撰組幹部という前身を隠す為の処置であったという。戦争で生き残り、その後上京。警視局に警部補として就職、時尾と結婚後は、勉・剛・龍雄の3人の男子に恵まれました。明治24年4月、警部として警視局を退職。直ちに東京高等師範学校附属東京教育博物館看守となり、さらに退職後はお茶の水女子高等師範学校の書記となり、校内の見廻り警備を兼ねて勤務しました。享年71歳。新選組では最も長寿ではないでしょうか。
ふたりの出会い 戦場に咲いた小さなロマンス

新選組総長近藤勇を弔う斉藤と、八重の弟三郎の冥福を祈る時尾
こんな大人物の斉藤一へのオファーがあったとき、降谷さんは「なぜ俺なんだ?」と疑問を抱いたという。降谷さんは東北でロックライブをしては被災地を応援してきたこともあり、自分が出演することで1円でも東北への支援になるならと引き受け「ことあるごとに人を斬って汚れ仕事ばかりやるようなすさんだ男ですが、そんな闇の住人である斉藤にだんだん雲が割れて光が差し込んでくる未来が楽しみ」と語っています。
そうえば、結婚を経てどこか丸くなった(!?)斎藤の表情にも、進化がうかがえますね。
意外と知られていない斉藤一の素顔がみれたり、その成長を追っていけるドラマって、この「八重の桜」が初めてではないでしょうか。こんなところも楽しみですね!
八重の桜



さきがけて咲く八重の生き方
会津戦争の戦火の中を生き抜き、京都で新たな生き方を模索した八重。
その生涯は戦いの日々であったと同時に、新時代を生きる女性の「さきがけ」となるものでした。
鳥羽・伏見の戦いで戦死した弟・三郎の形見の着物をまとい、大小の刀を差した”男装”で最新式のスペンサー銃を手に戦い、当時女性の力を借りるなど恥でしかない武士社会での因習をくつがえし、大砲による砲撃の指揮まで執った八重は、新しい時代の風穴をあける「さきがけ」に間違いありません。


八重が活字を拾った京都ガイド。(国立国会図書館蔵)
時代は明治に進み、プロテスタントの結婚式で、日本で初めての新郎新婦となった八重と襄。
ちなみに八重は、いくつ さきがけだったんだろう?と思うくらい日本で”初めて”が多い女性ですね。
スペンサー銃を撃ったのも彼女が初めて、女紅場の教師として公務員の月給を受けたキャリアウーマンとしてもさきがけでした。
中でも、明治6年京都博覧会が開催されたとき京都府顧問であった覚馬が外国人向けに英文の観光ガイドブックを製作したとき、ドイツから取り寄せた最新式の活字印刷機を使用し、初めて英文活字を拾っのが八重だったことは語り継がれています。英語を真っ先に学んだ彼女の知識が生かされたんですね。
左;明治38年撮影の看護婦姿の八重


(右)八重が習得した裏千家の茶道許状「奥秘大圓傳法真双二段」
その他にも、第一回帝国議会開催直後の明治23年12月、6人の女性が初めて議会を傍聴したとき、その一人が八重でした。また、裏千家の女性茶人として初めて奥秘大圓傳法の茶道許状を受けた女性であり、日清・日露戦争で率先して看護にあたり皇族以外の勲七等宝冠章受賞者となるなど、(他にも)彼女の”初めて”は、いろいろあります。本当の草分けなんですね。いまでは当たり前のことでも、さきがけとなる人は決まって世のそしりを受けますし、迫害も受けます。
私達女性は、八重のような先人のおかげで、今の時代あたりまえのように女性の自由と権利を享受しているといって過言ではないと思います。 ハンサムウーマンとは、さきがけて咲く八重の生き方に象徴される言葉なんですね。

会津藩主松平家別荘・御薬園ををたずねて

容保の安住の地、会津・御薬園を訪ねてきました❤
もう二度とみれないと思っていた、容保の殿のほほえみ・・・
深い悲しみの中から必死で絞り出されたような笑顔が、痛々しいばかり・・・綾野さん上手ですね。
それでもやはり、とのの笑顔が見たい!と切望している容保ファンは多かったことでしょう。
容保が愛した御薬園。やっと笑顔を取り戻し始めた容保が会津を恋しく思い、晩年ここに戻り住んだそうです。
亡くなったのは東京ですが、容保にとって心安らぐついのすみかは御薬園だったのかもしれませんね。
八重の桜の撮影でも、養子として会津にやってきた容保が照姫に会うもみじのシーン、また、会津戦争敗北後、処分待ちで暫く蟄居していた時も、ここが使われていました。
回想シーン 2話より

容保公と照姫の出会い

御薬園の由来
領主蘆名直盛(あしななおもり)の時代に霊泉の湧くといわれる池に蘆名盛久(もりひさ)が別荘を建てたことにはじまるという。その後、会津松平家3代正容(まさかた)が近江より園匠を招き池泉回遊式大名型山水庭へ改造され、大名らしい風格の漂う庭園や、薬草によって疫病に苦しむ領民を救いたいという藩主の願いが詰まった薬草園と、さらには秩父宮妃殿下となられた容保公の孫・勢津子妃ゆかりの建物「重陽閣」など、会津の歴史が息づく心地よい安らぎの空間が広がっています。以後、歴代藩主の庭園といて重用されました。

御薬園全景 見取図

庭園の中央ひろがる心字(しんじ)の池のほとりに建つ御茶屋御殿から眺める庭園の景色は、この御楽園随一。
心字の池と、池の中島に建つ楽寿亭(らくじゅてい)、はるかに東山の借景が一望できます。
<茶屋御殿>
晩年、会津を恋しがり戻ってきた容保公が住んでいた棟で、茶屋御殿としていまもサービスを

御薬園は霊感漂う、気の良いところ。また木がすばらしい
茶席、書院、御慰所として用いられ、戊辰戦争では新政府軍に奪われ西軍の治療所にもなりました。
建物内部には、当時ついた刀傷が何か所か残されていて、戦の生々しさを物語っています。
刀傷の残る柱の場所を教えてくれた、茶屋御殿の会津美人スタッフさん

八重の桜ファンで、建物から歴史の説明までしてくださいました
容保目線 茶屋から見た心字池にうかぶ楽寿邸

入場はお抹茶+手作り胡麻羊羹つきで500円でした。

この景色を眺めながら、あの日あのときここで殿もお茶を嗜まれたと思うと感無量です
さらに、ここで素敵なものを発見!
美しい会津茶碗 「八重の桜」記念に特別に焼かれたもの

<会津茶碗”八重の桜”記念茶碗>
会津保科正之公によって葺き替えられた鶴ヶ城の赤瓦の赤と、”日本の桜”をイメージした赤茶碗が製作されました。洒落ているのは、この赤茶碗、八重がクリスチャンであったことと、篤志看護婦として活躍し、日本赤十字社の社員であったことから高台(底の部分)が十字高台になっていること。
色が何とも言えずシックで、わび、さびを感じる風合い・・・手に取ってみましたが、カタログよりもずっと素敵でした。八重の桜イヤーである今年、特別記念ということでリーズナブルな価格で提供しているのも嬉しいサービス。美雨もひとつ欲しくなってしまいました。

<会津藩主・容保の孫娘、勢津子妃殿下ゆかりの重陽閣>
この重陽閣は、勢津子妃殿下と生家の家族が会津を訪れた際に宿泊した東山温泉の新瀧(しんたき)旅館別館を移築したもの。勢津子妃殿下の誕生日が9月9日であることから、重陽の節句にちなみこの名がつけられたそう。1階には勢津子妃殿下の功績を後世に伝えるため、それを記念して「想ひ出の部屋」が開設され、当時の写真が展示されています。

秩父宮妃勢津子殿下
勢津子妃殿下は松平容保の孫にあたり、民間人からはじめて皇族に嫁した女性。昭和3年、先祖に婚約の報告をするべく会津若松を訪れた際には、この結婚によって維新で朝敵とされた会津の汚名がそそがれると、のべ40万人ものひとびとが希望に沸きかえった。
御皇室に嫁がれた、会津の姫君・勢津子さまの思い出の品々

伝説の、銀のボンボニエールもここに・・・!目からウロコでした。
思ひ出の部屋
秩父宮勢津子さまが姫君の時代から晩年までの写真等を展示しているギャラリー

この奥にも部屋がギャラリーとなって連なっています
<重陽閣ティールーム>
重陽閣の2階には、勢津子妃殿下ゆかりのイングリッシュ・ティーを楽しみことができる優雅なカフェが、英国王室御用達の紅茶と、勢津子妃殿下が好んデザートを復元した季節のおデザートがいただけます。「季節のガレットランチ」も好評。
秩父宮妃殿下ゆかりのお部屋で、庭園を眺めながら季節を味わう紅茶とデザート・・・至福のひとときです
この日、偶然ですがこの窓越しから白無垢を着た花嫁さんを見ました。

プリンセス・チチブ
イギリス人J・ハークネスより勢津子妃殿下に贈られたバラ。年に数回、ピンク色の上品な花を咲かせる。

<御楽園の目玉、オタネニンジン(高麗人参)>
会津松平2代正経(まさつね)は、領民を疫病から救うため、この庭園で薬草の栽培をはじめました。現在も、当時の栽培地跡を薬用植物標本園として、会津産の薬草をはじめとする400種の薬草が育てられていますが、とりわけこの”オタネニンジン”は貴重で、守護職時代の経済をささえた高価な植物でした。
初めて花を見た、オタネニンジン(高麗人参)に感動。半径5mも香ってきます!薬草ってかんじ。

みなさん、会津にこらんしょ。御薬園も是非訪ねてくなんしょ

美雨の選んだ茶碗を持つ美しいスタッフさんより
「八重の桜」各話あらすじ&感想
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尚之助に関するレビューはこちらを参照
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