Entries
2013.08/25 [Sun]
八重の桜 第34回「帰ってきた男」 あらすじ&感想 Yes,Jesus loves me! さあ、一緒に
[八重の桜] ブログ村キーワード

NHK大河ドラマ 八重の桜 第34回「帰ってきた男」
最新の回のあらすじ&感想はこちらをクリック↓(「八重の桜」各話あらすじ&感想)
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html
第34話の視聴率は13・4% 「耶蘇の神様は、国を追われたことがねぇお方なんだべ・・・」誰にも肩代わり出来ない八重の苦しみ。「すべての重荷を背負うもの、我に来たれ」と襄。風変わりな男女が、ついに京で出会う。復興にむけて頑張る福島と東北に熱くエールを放つ大河ドラマ”八重の桜”、共に見守りつつ八重の桜前線を拡げていきたいですね!
NHK総合20:00~20:45 八重の桜HP http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/

八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA
第34話あらすじ
明治6年、征韓論を巡って政府首脳は分裂、西郷、板垣、木戸らが政府を去った。弱体化した政府を立て直すため、木戸は大阪に招かれ、参議への復帰を求められていたが、そんな折、アメリカ使節団時代通訳だった新島襄(オダギリジョー)が木戸を訪ねてくる。襄を高く評価する木戸は政府で働かないかと持ちかけるが、襄はきっぱりと断り、自分が日本に戻ってきたのは、キリスト教の学校を作るためだと答える。キリスト教というだけで大阪府に設立を断られた襄は、何か手立てはないものかと木戸に助言を仰ぎにきたのだ。かねてから欧米に追い付くにはまずは教育を、と考えていた木戸は、襄の話に共感し、大阪でなく京都に行くよう勧める。「あの地には、君の力になりそうな者がおる」。しかし、大阪でも無理なものを、仏教の聖地である京都で?と襄は怪訝な表情を見せる。
そのころ八重(綾瀬はるか)は、覚馬に促されて耶蘇教(キリスト教)の勉強を始めていた。ゴードンという宣教師の家でマタイ伝の講義を受けに熱心に通うが、聖書の教えは、会津で什の教えを学んだ八重には相いれないものであった。
「悪いものに刃向ってはならぬ」どころか「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」という聖書の教えは、会津ならば子供にも通用しない。やられっぱなしでいるのは、卑怯者か臆病者だけだ。家屋敷を焼かれ、故郷の会津を奪われた自分達が、薩長を憎まずにいられるだろうか?ましてや敵の為に祈るなど、冗談ではない・・・「耶蘇の神様は、国を追われたことがねぇお方なんだべ・・・」八重のトラウマは深かった。
襄が木戸からの紹介状を持って向かった先は、覚馬(西島秀俊)の山本家であった。「なぜキリスト教なのか?」」という覚馬の問いに、襄は、戦争で覆った世に苦しむ人々が溢れ、傷ついたこの国を救うにはキリスト教が必要だ、と答える。キリスト教には真理があり、真理は人の心を自由にすること・・・そのために学校を作り、一国の良心となる青年たちを、この手で育てたい・・・その為なら苦も厭わない、という襄に※『天道遡源』の一節を見出した覚馬は共感し、かつて学んだ象山塾で幼い七五三太(しめた)=襄と出会っていた頃から、天の導きにより京に繋がっていた不思議なえにしを深く感じる。そして、西郷から譲り受けた薩摩藩邸だった土地を襄の学校建設のために生かそうと誓うのだった。
知事の槇村正直(髙嶋政宏)はキリスト教の学校と聞くと難色を示すが、ライバルの大阪府知事である渡辺昇が断ったことを知り、京都の器の大きさを示すためと、襄が伝道団体のアメリカンボードから設立資金を得ていることから、一転、申し出を快諾する。槇村はまた「結婚するなら日本的でない女性がいい」という襄に、嫌味をこめて「ぴったりの女性がいる」と八重を推薦するのだった。
そんな襄が、ある日、偶然八重と出会う。八重が「女紅場」で働いていることを知った襄は、見学がしたいと願い出る。いきなり押しかけてきた襄に戸惑う八重だが、英語の授業に飛び入りで参加したと思えば賛美歌で女学生達に英語を教える襄の 楽しげな授業を見て、不思議な魅力を覚える。襄は、八重が知っているどの男性とも違っていた。
そしてもう一人、アメリカから帰ってきた男がいた。東京で、旧会津藩士の生活の面倒を見ていた山川浩(大蔵)邸に帰国の挨拶に来た、健次郎であった。佐川官兵衛もかけつけ、立派に学問を修めイエール大学の学士号を取得した健次郎を書生と祝う。そこで健次郎は兄・浩の手の異変に気付く。浩は前年、仇敵でもある佐賀の乱の鎮圧で名誉の負傷をし、陸軍中佐に昇進したという。実際、不穏な政情のなか、各地で士族の反乱が勃発していたのだ。
しばらくして、襄が山本家に引っ越してくる。キリスト教を嫌う人達が抗議に押しかけてくるのを懸念する襄に、八重は「それ位のこと、うちでは誰も驚かないし、兄も私も、昔から 人が反対する事ばかりやってきた・・・耶蘇(イエス)さまも初めは反対する周囲にひるむことなく、教えをひろめたのですから、私達も同じようにすればいいのです」とさらりと答える。そんな八重に向かって、襄は唐突にある言葉を口走る。「一つだけ・・お願いしたいことが・・・八重さん、私の妻になっていただけませんか」
・・・ということで、次回は第35話「襄のプロポーズ」です。
※天道遡源とは・・・漢文で書かれたキリスト教の入門書。明治八年(一八七五)四月に宣教師ゴードンから贈られたこの本は、覚馬がキリスト教の教えに感銘を受ける契機となった。
第34話ぷち・ギャラリー
<マタイ伝との格闘>
ゴードン神父の元でキリスト教を学び始めた八重「悲しむ人は幸いなり・・・」

「えっ?逆ではないですか?」」
<襄のアンビション>
傷ついたこの国を救うために、私はキリスト教に根差した学校を創りたいのです

どうか私に力を貸してください・・・!
<襄と八重の出会い>
ガラガラッ

そこには、靴をみがく青年が・・・

八重の心中”ゴードンのボーイ?”
<講義のあと、襄が宣教師だと知った八重>
何故靴を磨いてたかと?江戸の藩邸では襦袢1枚洗ったことなどない・・武士のすることではないと

しかしアメリカに渡って考えが変わりました。体を動かして働くことは楽しいことです。
八重さん、私に女紅場を見せて下さい「困ります・・・あなたが来たら生徒達が たまげます!」

僕はかまいませんよ♪「そっちはよくても、こっちが困んのだし!」
しかし・・・襄の押しに負け・・・
Jesus loves me♪This I know,For the Bible tells me so~♪

そう、もっと大きな声で!学ぶと言うのは楽しいことなのですから!(しっかりうちとけてる襄
<もう一人の 帰ってきた男>
姉上!ただいま戻りました!

健次郎、おかえんなんしょ
立派になって・・・

この帽子、しばらく預からせてもらえねえべが? 「は?はぁ・・」
ご苦労であった!よぐ、辛抱したな! (しみじみ・・・

うちは貧乏だぞ!覚悟しておけ。質屋がよいも、慣れだもんだ
会津の若者を書生にして面倒をみていた浩(大蔵)と姉の二葉

姉上・・それで質屋に・・・帽子は当分、戻ってこねえな

大蔵 「ハハハ」」
エール大学の修了証書 佐川「これは、なんと書いであんだ?」

浩(大蔵)「イエール大学で、文学士の学位を得たという証書です」
にしはこれからどこで働く?政府や軍じゃ会津もんは出世できん。

私は官吏でも軍人でもなく学問を極めていきたいと思っています。

<井戸の上で涼しげに裁縫をする八重を見た襄は>
覚馬さんの妹というのは八重さん・・!?

お・・落ちたらどうするんですか?

こうしてるのが、一番涼しいんです。大丈夫、平気ですよ、ほら(ユラユラ
ああーッ、あぶない! がしっ

きゃっ
ちょ・・あのぅ・・・

あッ、落ちるかと・・・ すみません、不躾でした・・・
ご婦人は守るべしと教えられてきたので・・・

守る?私を?私は守られたいなどと思ったことはありません。わだすは会津の戦で鉄砲撃って
戦ったおなごです・・・わだすには、敵の為に祈れという耶蘇様の教えはわがんねえ
<山本家に引っ越してきた襄>
八重「部屋は片付けたし、これでよし・・他になにか御用はありますか?」

ああ、ひとつだけ・・・八重さん、私の妻になっていただけませんか?
ハ・・ハァ!?

八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記
「なぜ、キリスト教なのですか?」
八重にキリスト教を学ばせていながら、覚馬自身もまた、もう一度襄に答えを問う理由がわかったことが、今回のツボでした。
「この本の中に、私は探していたものを見つけた」
会津戦争で傷ついてきた八重の心、
憎しみや恨みを抱えたままで生きるのは、辛すぎて、前に進めない。
覚馬はよく知っている。自分自身もそうだったからに違いない。
日本が進む道を間違えないために、政府の都合に左右されない良心を持った人間を育てること・・・光を失い、身体の自由を失ったあんつぁまに、「教育」という夢に向かって明るい光が見えてきました。
そして現実的には、襄のいう学校がキリスト教精神を核にしつつも、キリスト教を広めるだけが目的でなく、祖国の為に役に立つ人材を輩出するためであったこと。かつて覚馬が学んだ象山塾も、京に開いた洋学所も、そうであった筈。
その覚馬と、㐮は よくぞ出会ったもの。
思えば、覚馬と幼いときにつながっていたのですね。
今回のテーマは、佐久が言った「何ごとも巡り合わせだべ」に続く、「天の導き」であった気がします。
仏教で言えば、”因縁”でしょうか。
もう繋がっていた覚馬 、 襄、そして八重。安中出身と聞いて一瞬、覚馬の脳裏に蘇った映像は、一度見たものの、どこか胸の痛みを覚えます。
八重の夫ふたりと、維新時いっとき天下をとった西郷というスタメンが顔を揃えていて、2話の段階から京編に向けて、布石が打たれていたのですね。
しかし、時とは残酷なもの・・・
幼い襄(七五三太)に、蘭学所のコンセプトを語る尚之助の回想シーン・・・感慨深すぎるシーンです
現在の襄と同じで、これから夢が開けていく・・・という感じで尚さまの 声も 力強かったですね。
いまは夢やぶれ、次代の妻のパートナーに「八重をよろしく頼む」と、夢のバトンタッチをする声が、時空を超えて響いてくるような・・・
思えば、尚之助はどこか時空を超えて、自在に生き続けるような、そんな存在感がありますね。彼はその自在性ゆえに、よく ”とらえどころのない男”と、形容されていたような気がしてきました。
このときの尚之助の 姿はトレードマークの白羽織。
そして、そのあとに白スーツのジョーさん。
一寸アイロニーを含んだ、今回の演出・・・意図的かどうかはわからないけど、八重もドッキリ!な 心の鼓動 が、こちらにも伝わってくるよう。
八重にプロポーズする男性は”白”の男なんですね。
そして、七五三太クンを助けたくれた西郷さんはいま?
時代は江藤新平の乱が片付いていて、山川浩がその佐賀の乱で負傷し、襄と健次郎が帰国。冒頭で木戸さんが生きていると考えると(明治10;1877年年、5月26日死去)薩摩で乱を企てた西郷に、「いい加減にしろ、西郷!」と吐き捨てた木戸が亡くなるのは、奇しくも西南戦争が起こる1877年(明治10年)ですから、京都の生活も、はや3年過ぎてることになります。
かつて、会津を逆賊とし、官軍として会津を討った山口や九州の諸藩が、今度は新政府軍にたてつき反乱、佐賀の乱はじめ熊本・神風連の乱、福岡・秋月の乱、山口の乱とつづき、西郷を大将とした国内最大級の西南戦争で、こんどは立場が逆になった官軍・会津に薩摩は討たれることになるのですから、こちらも因果のめぐりあわせですね。
時の流れは悲喜こもごものつづら折りのようです。
ふりかえれば終生西郷とは犬猿の仲だったという木戸も、このとき政府を離れていたのですね。木戸はジョーと対面している時、頭痛がしていたようですが、襄といるとつい本音が出る、という感のある”苦笑”がほほえましかった。
その襄、Boys, be ambitiousを絵に描いたようなアグレッシブな行動力がありながら、どこか少年のような純粋な魅力があります。そんな無邪気さをオダ襄さん、実に自然体に演じていますね。
きっと八重はそんな部分に、恋したといっても過言ではないでしょう。
今回は運命の出会い。
のちに「ジョーのライフはマイライフ」」と公言する八重も、このときは未だマタイの教えと格闘していたようですね。
「人を裁くな。さすれば、自分も裁かれることはない。断罪するな。さすれば、自分も断罪されることはない。」
「では、司法省はなんのためにあるのです!?」
会津をひきずった、八重のカルチャーショックと、衝突する価値観のパラダイムは、隔たりを縮めていけるだろうか。
加えて、襄のアメリカ的思考と合理性についていけるでしょうか?
讃美歌「主、われを愛す」にその答えがあるような気が。
Jesus loves me,This I know,For the Bible tells me so.
・・・聖書に答えがある。
「学んでいけば、答えがきっとみつかる」という32話のラストをも想起させますね。
この聖歌は、粋な演出だと思いました。
しかし、耶蘇の宣教師という事で渋っつらだった槇村に即決を促した、学校設立予算はアメリカンボードで既に集まってる、というプロテスタントのパワーは凄い。
そのアメリカから、学校設立のため5000ドル支援を受けた襄、明治初期の一ドルは約一円、一円はいまの1,5万円に相当するそうですから、密入国した一介の日本人に7500万もの寄付を引き出したのは、たいしたものです。
軽そうに見えて気骨があり、勤勉でユーモアもあり、潔い。
日本人とアメリカ人の良い点を受け継いでいる。
尚之助にしてもそうですが、こんなジェントルマンに出会えた八重さんは、幸せな人ですね。
こんな運命の人に誰でも出会える訳じゃないですもんね。
襄と八重・・・視聴者にとってはいろんな思いはあるけれど、
尚之助が祝福するような、清々しい出会いでした。
最後に、山川家の面々と官兵衛ら、懐かしい会津の人々が見られたのが嬉しかった。
もう一人の「帰ってきた男」、山川健次郎がイェール大学留学から帰国した姿は、山川家と旧会津藩の者だけでなく、日本の希望でしたね。なんといっても後の東京大学の総長ですから、学問の分野で天下をとったと言えます。
会津 山川家は、後世に残る素晴らしい人材を輩出しましたね。
他にも教育界では、覚馬はじめ秋月さん、海老名リンなど一廉の人物が名を揃えています。
まだまだ会津編の余韻冷めやらぬ自分としては、戦争で生き残った会津人たちが、力強く新時代を駆け抜ける姿を見ていきたい・・・。
それを思わせる、新たなオープニングにもホッコリ。
時代が移り変わり、希望を感じさせるオープニングに変わりましたね!
散りゆく桜の花びらは、会津に散った会津の精霊たちを思わせ、同時に、うるおい再生していく緑の映像に未来をみた気がします。
希望のなかに、哀惜があり、
桜とはそうした不思議な仏性をそなえた木ですね・・・
いまさらながら「八重の桜」というタイトルは深いなぁ、と実感します。
キャスティング❤今日のフィーチャー
今日は活躍めざましかったですね!大蔵ブラザー、別名青びょうたんこと、山川健次郎。
将来、会津の正義を世にただし名誉回復をになうキーパーソン、健次郎を演じる勝地涼さん。
勝地涼(かつじりょう)、1986年生まれ。14才のときドラマ「千品、もう一度笑って」でデビュー。ドラマは「ハケンの品格」、NHK大河は「篤姫」にも出演。映画「亡国のイージス」では日本アカデミー賞新人賞受賞。
<山川健次郎・ちょっとネタバレ紹介>
国家老・山川兵衛の孫で、大蔵の弟。八重に鉄砲や砲術を習い、藩校・日新館では学問に励み新しい時代に備えてフランス語も学んだ秀才。白虎隊士となるが、落城後は苦難にあえぐ会津藩の未来を背負って謹慎所をを脱出、秋月の紹介で長州藩士の助力を得てアメリカの名門イエール大学に留学。その後は東京、九州、京都の各帝国大学の総長を歴任、「白虎隊総長」との異名をとった。
白虎隊士時

イエール大学卒業後
東京大学総長の健次郎
その山川健次郎に扮する勝地さん、この作品で、会津側からの歴史を見て、世の中には、正義も悪もない、と感じたそうです。ひとつの事柄も、視点を変えれば正義にも悪にもなりうる・・・決めつけてものを見ないてはいけないことを学んだし、世論というものは一瞬で変わってしまう、という恐ろしさも学んだという。
心は既に白虎隊士、そして会津もののふsideの、勝地涼さん、アカデミー賞新人賞受賞者の名に恥じない役者っぷりですね。
八重の桜
あ
ら
かるとⅠ ~ 新島襄のこと ~
祖母が住んでいた、高崎の観音山のふもとで生まれた美雨は、襄先生(と、上毛の人は呼ぶ)のお話をそれはよく聞かされたものです。高崎からそう程遠くない安中(あんなか)。群馬県で親しまれている上毛カルタやでもおなじみの新島襄は「平和の使徒(つかい)と詠まれています。
今日は、新島襄”先生”の生涯を、安中サイドで紹介してみたいと思います。

新島襄は、天保14年(1843)安中藩士新島民治の長男として安中藩士江戸上屋敷で生まれました。襄の幼名は、八重の桜第二話でもおなじみ、七五三太(しめた)といいますが、命名の由来は、四姉妹に続く待望の男子だったから祖父が「しめた!」と叫んだから とか、襄の生まれた1月14日が七五三縄(しめなわ)を外す日だからとも言われています。
襄は秀才の誉れ高く、若干13歳で藩主に蘭学修行を命じられ、この蘭学修行中に 漢訳の聖書によって神の存在を知った襄は、元治元年(1865)国禁を破り国外脱出、アメリカに渡り10年間学問とキリスト教を修めます。
この間に日本は、明治維新という大きな変革を経て近代国家に生まれ変わろうとしており、西洋の学問を身につけた襄の存在を知った岩倉(具視)使節団と明治政府は、襄に役人となり国家建設に協力するよう求めます。
しかし襄は、役人となることを拒絶しました。それは、襄が日本人にキリスト教精神に基づく大学を設立するという大志を抱いていたからであり、彼の理想とする自由な教育は、国家の管理の下では不可能だと考えたからでした。
明治7年に日本に帰国した襄は、すぐさま両親の待つ懐かしい安中へ向かいました。そして両親と10年ぶりの再会を果たすのですが、安中には3週間程滞在しただけで、すぐに任地である神戸へ向かわざるを得ませんでした。襄にはまた、副牧師として布教という使命があったのです。
八重と婚後、何度か安中を訪ねていますが、キリスト教精神に基づく大学の設立と布教という2大目的に襄は東奔西走し、その端緒として同志社英学校(現在の同志社大学)を京都に設立します。しかし、志半ばで病に倒れ、46歳でその生涯を終えたのでした。

ワイルド・ローヴァー号で新世界、アメリカを目指すジョー

さて、第10話で脱国を果たした襄ですが、いきなりアメリカへ渡れたわけではありません。アメリカ商船ベルリン号で上海まで行き、この頃全く英語が話せなかった襄は雑用などの仕事を引き受けながら、アメリカ行きの商船、ワイルド・ローヴァ―号に乗り換えます。この船の船長H・Sテイラーは襄を”Joe;ジョー”と呼び弟のように可愛がってくれたことから、新島自身、襄と名乗って生きることになったのです。
襄は乗船の礼として、武士の魂である自分の大刀をテイラーに贈り、また小刀を譲って漢訳の聖書を買うのです。
それが、「天道遡源」。今回(34話)で 覚馬の口から出た天啓を得たという書ですね。
この聖書の入門書とも言える「天道遡源」が、襄と覚馬、そして八重を繋いでいったのは、本当に、偶然でない必然 ―― 天の意志のようなものを感じます。
襄が上海から乗り込んだ、ワイルド・ローヴァ―号

上海を発つ前に 脱国のほう助をしてくれた友に暗号か「753ta(しめた)」の名で文を送っている
夢にまで見たアメリカ(ボストン)に到着したのは、襄が日本の箱崎を発って一年後のことでした。
アメリカでは南北戦争が終結し、リンカーン大統領が暗殺されるという事件が起こります。
ボストンでは襄の身元引受人がなかなか見つからず、襄は乗船生活をしながら、愛読書ロビンソン・クルーソーの原書をひたすら眺めていたといいます。しかし、ワイルド・ローヴァ―号の持ち主で資産家であったA・ハーディーとの幸運な出会いが彼の人生を大きく変えることになります。襄のキリスト教への向学心をみてとったハーディーは襄をジョゼフ・ハーディーとして家族に迎え入れ、以後、襄の「アメリカの父」として襄に惜しみない愛と援助を与えるのです。
襄のアメリカの父 ハーディー夫妻

京都・新島会館にて 続きはまたいずれ。^^
八重の桜
あ
ら
かるとⅡ あらたな門出 八重&襄

新たな門出によせて、こんな素敵なとれとれインタビューがアップされていたので、こちらでも。
綾瀬はるかさん
会津戦争を経て、苦しみや悲しみ、いろいろな困難を乗り越えて、八重は襄と出会いました。
実際のエピソードを通して描く2人の夫婦像が、これからの見どころになっていきます。
男尊女卑の時代に、平等で対等、男女関係なく良きパートナーとして歩いていく、ユニークで力強い夫婦の姿を楽しんで見ていただけたらと思います。
オダギリジョーさん
当時、キリスト教の学校をつくるという大きな夢を追いかけていた襄にとって、八重さんは同じ夢を歩いてくれるかけがえのない同志でした。少し頼りない一面もある襄が、男性よりも力強くて信頼できる八重さんに引っ張ってもらう、そういう夫婦像も悪くないかな、と思います。
制作統括・内藤愼介プロデューサー
襄の求める夫婦の条件は、"ベストパートナー"。お互いの本質的な心の美しさにひかれ、恋愛感情を超えて高めあう関係です。「ジョー」「八重さん」と呼び合い、2人は風変わりな夫婦として歩み始めますが、それは今の時代にこそ共感される理想的な男女の関係かもしれません。明治という時代のなか、新しい夫婦の形を存分にお見せいたします。
※物語は京都編へ突入し、次回の放送ではいよいよ、八重(綾瀬はるかさん)と襄(オダギリジョーさん)の出会いが描かれます。京都で出会い、次第に距離を縮めていく八重と襄。そして、親しい人たちに見守られ、神の前で結婚を誓います。2人の式は、当時、日本初のプロテスタントの挙式となりました。
結婚式は、第36回「同志の誓い」(9月8日放送)で描かれる予定。
http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/yaeblog/2013/08/23-wedding.html
<どうでもいいけど 気になる”この人”コーナー>
20:45分に八重の桜が終わると 出てくるニュースキャスターのお兄さん 
実は、ある人と同人物では?という噂が・・(ボソッ すらぞうさま提供)

いいお名前ですね
↓

↓

↓
ハッ八ッハッ 実はボクです!裏稼業の方もよろしく!

知ってる人、いるのかなぁ~
このヒトらしい(汗)
クリック⇒ http://www.youtube.com/watch?v=kpgzduwEA7o
う・・・言われてみると、な・・なんとなく似ている ??(^_^;)

「八重の桜」各話あらすじ&感想
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html
なんとなく似ている、と思った人はポチポチっとしてくなんしょ♪(>ω<)★(←会津語)




(>ω<)4ポチに感謝デス♪
美雨のおすすめブログ
海外旅行は体験談を参考に!

竜宮小僧の旅案内



NHK大河ドラマ 八重の桜 第34回「帰ってきた男」
最新の回のあらすじ&感想はこちらをクリック↓(「八重の桜」各話あらすじ&感想)
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html
第34話の視聴率は13・4% 「耶蘇の神様は、国を追われたことがねぇお方なんだべ・・・」誰にも肩代わり出来ない八重の苦しみ。「すべての重荷を背負うもの、我に来たれ」と襄。風変わりな男女が、ついに京で出会う。復興にむけて頑張る福島と東北に熱くエールを放つ大河ドラマ”八重の桜”、共に見守りつつ八重の桜前線を拡げていきたいですね!
NHK総合20:00~20:45 八重の桜HP http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/

八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA
第34話あらすじ
明治6年、征韓論を巡って政府首脳は分裂、西郷、板垣、木戸らが政府を去った。弱体化した政府を立て直すため、木戸は大阪に招かれ、参議への復帰を求められていたが、そんな折、アメリカ使節団時代通訳だった新島襄(オダギリジョー)が木戸を訪ねてくる。襄を高く評価する木戸は政府で働かないかと持ちかけるが、襄はきっぱりと断り、自分が日本に戻ってきたのは、キリスト教の学校を作るためだと答える。キリスト教というだけで大阪府に設立を断られた襄は、何か手立てはないものかと木戸に助言を仰ぎにきたのだ。かねてから欧米に追い付くにはまずは教育を、と考えていた木戸は、襄の話に共感し、大阪でなく京都に行くよう勧める。「あの地には、君の力になりそうな者がおる」。しかし、大阪でも無理なものを、仏教の聖地である京都で?と襄は怪訝な表情を見せる。
そのころ八重(綾瀬はるか)は、覚馬に促されて耶蘇教(キリスト教)の勉強を始めていた。ゴードンという宣教師の家でマタイ伝の講義を受けに熱心に通うが、聖書の教えは、会津で什の教えを学んだ八重には相いれないものであった。
「悪いものに刃向ってはならぬ」どころか「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」という聖書の教えは、会津ならば子供にも通用しない。やられっぱなしでいるのは、卑怯者か臆病者だけだ。家屋敷を焼かれ、故郷の会津を奪われた自分達が、薩長を憎まずにいられるだろうか?ましてや敵の為に祈るなど、冗談ではない・・・「耶蘇の神様は、国を追われたことがねぇお方なんだべ・・・」八重のトラウマは深かった。
襄が木戸からの紹介状を持って向かった先は、覚馬(西島秀俊)の山本家であった。「なぜキリスト教なのか?」」という覚馬の問いに、襄は、戦争で覆った世に苦しむ人々が溢れ、傷ついたこの国を救うにはキリスト教が必要だ、と答える。キリスト教には真理があり、真理は人の心を自由にすること・・・そのために学校を作り、一国の良心となる青年たちを、この手で育てたい・・・その為なら苦も厭わない、という襄に※『天道遡源』の一節を見出した覚馬は共感し、かつて学んだ象山塾で幼い七五三太(しめた)=襄と出会っていた頃から、天の導きにより京に繋がっていた不思議なえにしを深く感じる。そして、西郷から譲り受けた薩摩藩邸だった土地を襄の学校建設のために生かそうと誓うのだった。
知事の槇村正直(髙嶋政宏)はキリスト教の学校と聞くと難色を示すが、ライバルの大阪府知事である渡辺昇が断ったことを知り、京都の器の大きさを示すためと、襄が伝道団体のアメリカンボードから設立資金を得ていることから、一転、申し出を快諾する。槇村はまた「結婚するなら日本的でない女性がいい」という襄に、嫌味をこめて「ぴったりの女性がいる」と八重を推薦するのだった。
そんな襄が、ある日、偶然八重と出会う。八重が「女紅場」で働いていることを知った襄は、見学がしたいと願い出る。いきなり押しかけてきた襄に戸惑う八重だが、英語の授業に飛び入りで参加したと思えば賛美歌で女学生達に英語を教える襄の 楽しげな授業を見て、不思議な魅力を覚える。襄は、八重が知っているどの男性とも違っていた。
そしてもう一人、アメリカから帰ってきた男がいた。東京で、旧会津藩士の生活の面倒を見ていた山川浩(大蔵)邸に帰国の挨拶に来た、健次郎であった。佐川官兵衛もかけつけ、立派に学問を修めイエール大学の学士号を取得した健次郎を書生と祝う。そこで健次郎は兄・浩の手の異変に気付く。浩は前年、仇敵でもある佐賀の乱の鎮圧で名誉の負傷をし、陸軍中佐に昇進したという。実際、不穏な政情のなか、各地で士族の反乱が勃発していたのだ。
しばらくして、襄が山本家に引っ越してくる。キリスト教を嫌う人達が抗議に押しかけてくるのを懸念する襄に、八重は「それ位のこと、うちでは誰も驚かないし、兄も私も、昔から 人が反対する事ばかりやってきた・・・耶蘇(イエス)さまも初めは反対する周囲にひるむことなく、教えをひろめたのですから、私達も同じようにすればいいのです」とさらりと答える。そんな八重に向かって、襄は唐突にある言葉を口走る。「一つだけ・・お願いしたいことが・・・八重さん、私の妻になっていただけませんか」
・・・ということで、次回は第35話「襄のプロポーズ」です。
※天道遡源とは・・・漢文で書かれたキリスト教の入門書。明治八年(一八七五)四月に宣教師ゴードンから贈られたこの本は、覚馬がキリスト教の教えに感銘を受ける契機となった。
第34話ぷち・ギャラリー
<マタイ伝との格闘>
ゴードン神父の元でキリスト教を学び始めた八重「悲しむ人は幸いなり・・・」

「えっ?逆ではないですか?」」
<襄のアンビション>
傷ついたこの国を救うために、私はキリスト教に根差した学校を創りたいのです

どうか私に力を貸してください・・・!
<襄と八重の出会い>
ガラガラッ

そこには、靴をみがく青年が・・・

八重の心中”ゴードンのボーイ?”
<講義のあと、襄が宣教師だと知った八重>
何故靴を磨いてたかと?江戸の藩邸では襦袢1枚洗ったことなどない・・武士のすることではないと

しかしアメリカに渡って考えが変わりました。体を動かして働くことは楽しいことです。
八重さん、私に女紅場を見せて下さい「困ります・・・あなたが来たら生徒達が たまげます!」

僕はかまいませんよ♪「そっちはよくても、こっちが困んのだし!」
しかし・・・襄の押しに負け・・・
Jesus loves me♪This I know,For the Bible tells me so~♪

そう、もっと大きな声で!学ぶと言うのは楽しいことなのですから!(しっかりうちとけてる襄
<もう一人の 帰ってきた男>
姉上!ただいま戻りました!

健次郎、おかえんなんしょ
立派になって・・・

この帽子、しばらく預からせてもらえねえべが? 「は?はぁ・・」
ご苦労であった!よぐ、辛抱したな! (しみじみ・・・

うちは貧乏だぞ!覚悟しておけ。質屋がよいも、慣れだもんだ
会津の若者を書生にして面倒をみていた浩(大蔵)と姉の二葉

姉上・・それで質屋に・・・帽子は当分、戻ってこねえな

大蔵 「ハハハ」」
エール大学の修了証書 佐川「これは、なんと書いであんだ?」

浩(大蔵)「イエール大学で、文学士の学位を得たという証書です」
にしはこれからどこで働く?政府や軍じゃ会津もんは出世できん。

私は官吏でも軍人でもなく学問を極めていきたいと思っています。

<井戸の上で涼しげに裁縫をする八重を見た襄は>
覚馬さんの妹というのは八重さん・・!?

お・・落ちたらどうするんですか?

こうしてるのが、一番涼しいんです。大丈夫、平気ですよ、ほら(ユラユラ
ああーッ、あぶない! がしっ

きゃっ
ちょ・・あのぅ・・・

あッ、落ちるかと・・・ すみません、不躾でした・・・
ご婦人は守るべしと教えられてきたので・・・

守る?私を?私は守られたいなどと思ったことはありません。わだすは会津の戦で鉄砲撃って
戦ったおなごです・・・わだすには、敵の為に祈れという耶蘇様の教えはわがんねえ
<山本家に引っ越してきた襄>
八重「部屋は片付けたし、これでよし・・他になにか御用はありますか?」

ああ、ひとつだけ・・・八重さん、私の妻になっていただけませんか?
ハ・・ハァ!?

八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記
「なぜ、キリスト教なのですか?」
八重にキリスト教を学ばせていながら、覚馬自身もまた、もう一度襄に答えを問う理由がわかったことが、今回のツボでした。
「この本の中に、私は探していたものを見つけた」
会津戦争で傷ついてきた八重の心、
憎しみや恨みを抱えたままで生きるのは、辛すぎて、前に進めない。
覚馬はよく知っている。自分自身もそうだったからに違いない。
日本が進む道を間違えないために、政府の都合に左右されない良心を持った人間を育てること・・・光を失い、身体の自由を失ったあんつぁまに、「教育」という夢に向かって明るい光が見えてきました。
そして現実的には、襄のいう学校がキリスト教精神を核にしつつも、キリスト教を広めるだけが目的でなく、祖国の為に役に立つ人材を輩出するためであったこと。かつて覚馬が学んだ象山塾も、京に開いた洋学所も、そうであった筈。
その覚馬と、㐮は よくぞ出会ったもの。
思えば、覚馬と幼いときにつながっていたのですね。
今回のテーマは、佐久が言った「何ごとも巡り合わせだべ」に続く、「天の導き」であった気がします。
仏教で言えば、”因縁”でしょうか。
もう繋がっていた覚馬 、 襄、そして八重。安中出身と聞いて一瞬、覚馬の脳裏に蘇った映像は、一度見たものの、どこか胸の痛みを覚えます。
八重の夫ふたりと、維新時いっとき天下をとった西郷というスタメンが顔を揃えていて、2話の段階から京編に向けて、布石が打たれていたのですね。
しかし、時とは残酷なもの・・・
幼い襄(七五三太)に、蘭学所のコンセプトを語る尚之助の回想シーン・・・感慨深すぎるシーンです
現在の襄と同じで、これから夢が開けていく・・・という感じで尚さまの 声も 力強かったですね。
いまは夢やぶれ、次代の妻のパートナーに「八重をよろしく頼む」と、夢のバトンタッチをする声が、時空を超えて響いてくるような・・・
思えば、尚之助はどこか時空を超えて、自在に生き続けるような、そんな存在感がありますね。彼はその自在性ゆえに、よく ”とらえどころのない男”と、形容されていたような気がしてきました。
このときの尚之助の 姿はトレードマークの白羽織。
そして、そのあとに白スーツのジョーさん。
一寸アイロニーを含んだ、今回の演出・・・意図的かどうかはわからないけど、八重もドッキリ!な 心の鼓動 が、こちらにも伝わってくるよう。
八重にプロポーズする男性は”白”の男なんですね。
そして、七五三太クンを助けたくれた西郷さんはいま?
時代は江藤新平の乱が片付いていて、山川浩がその佐賀の乱で負傷し、襄と健次郎が帰国。冒頭で木戸さんが生きていると考えると(明治10;1877年年、5月26日死去)薩摩で乱を企てた西郷に、「いい加減にしろ、西郷!」と吐き捨てた木戸が亡くなるのは、奇しくも西南戦争が起こる1877年(明治10年)ですから、京都の生活も、はや3年過ぎてることになります。
かつて、会津を逆賊とし、官軍として会津を討った山口や九州の諸藩が、今度は新政府軍にたてつき反乱、佐賀の乱はじめ熊本・神風連の乱、福岡・秋月の乱、山口の乱とつづき、西郷を大将とした国内最大級の西南戦争で、こんどは立場が逆になった官軍・会津に薩摩は討たれることになるのですから、こちらも因果のめぐりあわせですね。
時の流れは悲喜こもごものつづら折りのようです。
ふりかえれば終生西郷とは犬猿の仲だったという木戸も、このとき政府を離れていたのですね。木戸はジョーと対面している時、頭痛がしていたようですが、襄といるとつい本音が出る、という感のある”苦笑”がほほえましかった。
その襄、Boys, be ambitiousを絵に描いたようなアグレッシブな行動力がありながら、どこか少年のような純粋な魅力があります。そんな無邪気さをオダ襄さん、実に自然体に演じていますね。
きっと八重はそんな部分に、恋したといっても過言ではないでしょう。
今回は運命の出会い。
のちに「ジョーのライフはマイライフ」」と公言する八重も、このときは未だマタイの教えと格闘していたようですね。
「人を裁くな。さすれば、自分も裁かれることはない。断罪するな。さすれば、自分も断罪されることはない。」
「では、司法省はなんのためにあるのです!?」
会津をひきずった、八重のカルチャーショックと、衝突する価値観のパラダイムは、隔たりを縮めていけるだろうか。
加えて、襄のアメリカ的思考と合理性についていけるでしょうか?
讃美歌「主、われを愛す」にその答えがあるような気が。
Jesus loves me,This I know,For the Bible tells me so.
・・・聖書に答えがある。
「学んでいけば、答えがきっとみつかる」という32話のラストをも想起させますね。
この聖歌は、粋な演出だと思いました。
しかし、耶蘇の宣教師という事で渋っつらだった槇村に即決を促した、学校設立予算はアメリカンボードで既に集まってる、というプロテスタントのパワーは凄い。
そのアメリカから、学校設立のため5000ドル支援を受けた襄、明治初期の一ドルは約一円、一円はいまの1,5万円に相当するそうですから、密入国した一介の日本人に7500万もの寄付を引き出したのは、たいしたものです。
軽そうに見えて気骨があり、勤勉でユーモアもあり、潔い。
日本人とアメリカ人の良い点を受け継いでいる。
尚之助にしてもそうですが、こんなジェントルマンに出会えた八重さんは、幸せな人ですね。
こんな運命の人に誰でも出会える訳じゃないですもんね。
襄と八重・・・視聴者にとってはいろんな思いはあるけれど、
尚之助が祝福するような、清々しい出会いでした。
最後に、山川家の面々と官兵衛ら、懐かしい会津の人々が見られたのが嬉しかった。
もう一人の「帰ってきた男」、山川健次郎がイェール大学留学から帰国した姿は、山川家と旧会津藩の者だけでなく、日本の希望でしたね。なんといっても後の東京大学の総長ですから、学問の分野で天下をとったと言えます。
会津 山川家は、後世に残る素晴らしい人材を輩出しましたね。
他にも教育界では、覚馬はじめ秋月さん、海老名リンなど一廉の人物が名を揃えています。
まだまだ会津編の余韻冷めやらぬ自分としては、戦争で生き残った会津人たちが、力強く新時代を駆け抜ける姿を見ていきたい・・・。
それを思わせる、新たなオープニングにもホッコリ。
時代が移り変わり、希望を感じさせるオープニングに変わりましたね!
散りゆく桜の花びらは、会津に散った会津の精霊たちを思わせ、同時に、うるおい再生していく緑の映像に未来をみた気がします。
希望のなかに、哀惜があり、
桜とはそうした不思議な仏性をそなえた木ですね・・・
いまさらながら「八重の桜」というタイトルは深いなぁ、と実感します。
キャスティング❤今日のフィーチャー
今日は活躍めざましかったですね!大蔵ブラザー、別名青びょうたんこと、山川健次郎。
将来、会津の正義を世にただし名誉回復をになうキーパーソン、健次郎を演じる勝地涼さん。
勝地涼(かつじりょう)、1986年生まれ。14才のときドラマ「千品、もう一度笑って」でデビュー。ドラマは「ハケンの品格」、NHK大河は「篤姫」にも出演。映画「亡国のイージス」では日本アカデミー賞新人賞受賞。
<山川健次郎・ちょっとネタバレ紹介>
国家老・山川兵衛の孫で、大蔵の弟。八重に鉄砲や砲術を習い、藩校・日新館では学問に励み新しい時代に備えてフランス語も学んだ秀才。白虎隊士となるが、落城後は苦難にあえぐ会津藩の未来を背負って謹慎所をを脱出、秋月の紹介で長州藩士の助力を得てアメリカの名門イエール大学に留学。その後は東京、九州、京都の各帝国大学の総長を歴任、「白虎隊総長」との異名をとった。
白虎隊士時


イエール大学卒業後
東京大学総長の健次郎

その山川健次郎に扮する勝地さん、この作品で、会津側からの歴史を見て、世の中には、正義も悪もない、と感じたそうです。ひとつの事柄も、視点を変えれば正義にも悪にもなりうる・・・決めつけてものを見ないてはいけないことを学んだし、世論というものは一瞬で変わってしまう、という恐ろしさも学んだという。
心は既に白虎隊士、そして会津もののふsideの、勝地涼さん、アカデミー賞新人賞受賞者の名に恥じない役者っぷりですね。
八重の桜



祖母が住んでいた、高崎の観音山のふもとで生まれた美雨は、襄先生(と、上毛の人は呼ぶ)のお話をそれはよく聞かされたものです。高崎からそう程遠くない安中(あんなか)。群馬県で親しまれている上毛カルタやでもおなじみの新島襄は「平和の使徒(つかい)と詠まれています。
今日は、新島襄”先生”の生涯を、安中サイドで紹介してみたいと思います。

新島襄は、天保14年(1843)安中藩士新島民治の長男として安中藩士江戸上屋敷で生まれました。襄の幼名は、八重の桜第二話でもおなじみ、七五三太(しめた)といいますが、命名の由来は、四姉妹に続く待望の男子だったから祖父が「しめた!」と叫んだから とか、襄の生まれた1月14日が七五三縄(しめなわ)を外す日だからとも言われています。
襄は秀才の誉れ高く、若干13歳で藩主に蘭学修行を命じられ、この蘭学修行中に 漢訳の聖書によって神の存在を知った襄は、元治元年(1865)国禁を破り国外脱出、アメリカに渡り10年間学問とキリスト教を修めます。
この間に日本は、明治維新という大きな変革を経て近代国家に生まれ変わろうとしており、西洋の学問を身につけた襄の存在を知った岩倉(具視)使節団と明治政府は、襄に役人となり国家建設に協力するよう求めます。
しかし襄は、役人となることを拒絶しました。それは、襄が日本人にキリスト教精神に基づく大学を設立するという大志を抱いていたからであり、彼の理想とする自由な教育は、国家の管理の下では不可能だと考えたからでした。
明治7年に日本に帰国した襄は、すぐさま両親の待つ懐かしい安中へ向かいました。そして両親と10年ぶりの再会を果たすのですが、安中には3週間程滞在しただけで、すぐに任地である神戸へ向かわざるを得ませんでした。襄にはまた、副牧師として布教という使命があったのです。
八重と婚後、何度か安中を訪ねていますが、キリスト教精神に基づく大学の設立と布教という2大目的に襄は東奔西走し、その端緒として同志社英学校(現在の同志社大学)を京都に設立します。しかし、志半ばで病に倒れ、46歳でその生涯を終えたのでした。

ワイルド・ローヴァー号で新世界、アメリカを目指すジョー

さて、第10話で脱国を果たした襄ですが、いきなりアメリカへ渡れたわけではありません。アメリカ商船ベルリン号で上海まで行き、この頃全く英語が話せなかった襄は雑用などの仕事を引き受けながら、アメリカ行きの商船、ワイルド・ローヴァ―号に乗り換えます。この船の船長H・Sテイラーは襄を”Joe;ジョー”と呼び弟のように可愛がってくれたことから、新島自身、襄と名乗って生きることになったのです。
襄は乗船の礼として、武士の魂である自分の大刀をテイラーに贈り、また小刀を譲って漢訳の聖書を買うのです。
それが、「天道遡源」。今回(34話)で 覚馬の口から出た天啓を得たという書ですね。
この聖書の入門書とも言える「天道遡源」が、襄と覚馬、そして八重を繋いでいったのは、本当に、偶然でない必然 ―― 天の意志のようなものを感じます。
襄が上海から乗り込んだ、ワイルド・ローヴァ―号

上海を発つ前に 脱国のほう助をしてくれた友に暗号か「753ta(しめた)」の名で文を送っている
夢にまで見たアメリカ(ボストン)に到着したのは、襄が日本の箱崎を発って一年後のことでした。
アメリカでは南北戦争が終結し、リンカーン大統領が暗殺されるという事件が起こります。
ボストンでは襄の身元引受人がなかなか見つからず、襄は乗船生活をしながら、愛読書ロビンソン・クルーソーの原書をひたすら眺めていたといいます。しかし、ワイルド・ローヴァ―号の持ち主で資産家であったA・ハーディーとの幸運な出会いが彼の人生を大きく変えることになります。襄のキリスト教への向学心をみてとったハーディーは襄をジョゼフ・ハーディーとして家族に迎え入れ、以後、襄の「アメリカの父」として襄に惜しみない愛と援助を与えるのです。
襄のアメリカの父 ハーディー夫妻

京都・新島会館にて 続きはまたいずれ。^^
八重の桜




新たな門出によせて、こんな素敵なとれとれインタビューがアップされていたので、こちらでも。
綾瀬はるかさん
会津戦争を経て、苦しみや悲しみ、いろいろな困難を乗り越えて、八重は襄と出会いました。
実際のエピソードを通して描く2人の夫婦像が、これからの見どころになっていきます。
男尊女卑の時代に、平等で対等、男女関係なく良きパートナーとして歩いていく、ユニークで力強い夫婦の姿を楽しんで見ていただけたらと思います。
オダギリジョーさん
当時、キリスト教の学校をつくるという大きな夢を追いかけていた襄にとって、八重さんは同じ夢を歩いてくれるかけがえのない同志でした。少し頼りない一面もある襄が、男性よりも力強くて信頼できる八重さんに引っ張ってもらう、そういう夫婦像も悪くないかな、と思います。
制作統括・内藤愼介プロデューサー
襄の求める夫婦の条件は、"ベストパートナー"。お互いの本質的な心の美しさにひかれ、恋愛感情を超えて高めあう関係です。「ジョー」「八重さん」と呼び合い、2人は風変わりな夫婦として歩み始めますが、それは今の時代にこそ共感される理想的な男女の関係かもしれません。明治という時代のなか、新しい夫婦の形を存分にお見せいたします。
※物語は京都編へ突入し、次回の放送ではいよいよ、八重(綾瀬はるかさん)と襄(オダギリジョーさん)の出会いが描かれます。京都で出会い、次第に距離を縮めていく八重と襄。そして、親しい人たちに見守られ、神の前で結婚を誓います。2人の式は、当時、日本初のプロテスタントの挙式となりました。
結婚式は、第36回「同志の誓い」(9月8日放送)で描かれる予定。
http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/yaeblog/2013/08/23-wedding.html
<どうでもいいけど 気になる”この人”コーナー>


実は、ある人と同人物では?という噂が・・(ボソッ すらぞうさま提供)

いいお名前ですね
↓

↓

↓
ハッ八ッハッ 実はボクです!裏稼業の方もよろしく!

知ってる人、いるのかなぁ~
このヒトらしい(汗)
クリック⇒ http://www.youtube.com/watch?v=kpgzduwEA7o
う・・・言われてみると、な・・なんとなく似ている ??(^_^;)

「八重の桜」各話あらすじ&感想
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html
なんとなく似ている、と思った人はポチポチっとしてくなんしょ♪(>ω<)★(←会津語)




(>ω<)4ポチに感謝デス♪
美雨のおすすめブログ
海外旅行は体験談を参考に!

竜宮小僧の旅案内

スポンサーリンク
- at 21:00
- [NHK大河ドラマ 八重の桜]
- TB(0) |
- CO(24)
- [Edit]
しゃあさま
台風の前に、ちょっと息抜きで銀座で乾杯してきました、ゴキゲンの美雨です。
いつもありがとうございます(●^o^●)
ワインも辛口でしたが、しゃあさんのコメントも今日は辛口ですね?(笑)
でも、これだけハッキリと本音を語ってくれるしゃあさん、すごく嬉しいことです。
予告に、尚之助が映っていましたね。時尾さんも何かいみしんな事を言っていて、
もうこれが本当に最後、といわんばかりで予告動画だけで私も泣いてしまいそうになりました。(T_T)
ただ、せっかく尚之助の意志を汲んで必死に前を向いて進んでいる八重をみると、自分的には、尚之助様を少し引っ張り過ぎている演出に少々違和感を感じています。なんというか、視聴者も尚さんも生殺しのような・・・(T_T) もしかしたら尚さまブレイクで、当初の脚本急きょ手直ししたのかしらとも勘ぐってしまったり。 おおいにありえますが、八重の桜ファン(というか尚之助ファン)からの要望がどちゃっとあって、いままで随分シナリオの軌道修正を余儀なくされた感もあります。それだけはるかさんとハセヒロさんがあまりに素敵に演じられてきたことと、この作品が愛されている証ですが、どんなふうに終止符が打たれるのか、最後まで愛情を含ませながら、そして視聴者との折り合いもつくように、むつみさんや演出の手腕に期待ですね。
何もなかったことには出来なくても、襄は素晴らしい人だし、尚之助の望みでもあった、未来に向かって歩く八重と襄の門出を、できるだけまっさらな気持ちで祝福してあげたいですね。
襄も山川健次郎も、軍人にも官吏にもならず、潔く教育者としての道を歩む点は共通していましたね。清々しかったです。
佐川さま、相変わらず頼もしくて、ホッコリでした。^^