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2013.08/11 [Sun]
八重の桜 第32回「兄の見取り図」 あらすじ&感想
[八重の桜] ブログ村キーワード

NHK大河ドラマ 八重の桜 第32回「兄の見取り図」
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「八重の桜」第32回の視聴率は13.9%。 これは、俺の戦だ・・・国が破れ、滅び、灰になっても、その中から身ひとつで立ち上がれ!管見に込めた覚馬の思いが、京の都に、八重の心に熱くこだまする「京都編」いよいよ動き出しました!
NHK総合20:00~20:45 八重の桜HP http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/

八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA
第32話あらすじ
京都の覚馬(西島秀俊)の家に暮らすようになった八重(綾瀬はるか)と佐久(風吹ジュン)、みね(池田沙弥花)。3人は同居後初めての朝を迎え、八重は台所を手伝おうとするが、覚馬の後妻・時栄(谷村美月)が朝餉も覚馬の支度もすでに整え、八重の入る隙は無かった。時栄はまた よく気が利いて、長旅の八重たちをいたわる思いやりがあふれていた。だが、時栄のために共に苦労を重ねてきたうらが身を引いたと思うと、八重はすんなりと素直にはなれない。みねも、母・うら(長谷川京子)のことが忘れられず納戸にこもってしまう。みねの後を追おうとした八重を、覚馬は厳しく制止し、みねのことは時栄に任せるよう言い放つ。
その日覚馬は八重を伴って京都府の実権を握る権大参事(ごんのだいさんじ)、槇村正直に面会に行く。槇村は、八重にすれば傲慢な感じの男だが、覚馬のことは「先生」と呼んで頼りにしている様子だ。そこに 乱れた足音がしたと思えば、京の商人衆がものものしく駆けこんでくる。商人達は、槇村が企画する博覧会の為に、異国人に京を荒らされ、端午の節句まで潰されたら、人形商も織物屋も商売あがったりだと訴える。すると槇村は頭ごなしに「今更攘夷でもあるまい、旧弊な祭りなどやっていたら西洋列強になめられる」と商人達を追い出そうとする。そこで覚馬が口を開き、日本で売れる人形の数はたかが知れているが、買い手を世界中に広げたら、万両もの商いが何千万両と増える・・・博覧会に異国人を呼ぶのはそのためで、お前たちの利益が国を豊かにするのだ、と説く。「儲かる道は必ず作る!」覚馬の言葉に、必死な形相をしていた商人達もホクホク顔で頭を下げ、戻っていくのを、お見事!と拍手で称賛する槇村。
八重は、槇村が長州出身と知って驚くと同時に、こみ上げてくる怒りを抑えられない。会津が長州にどんな目に遭わされたか。それなのに兄の覚馬は、槇村にすり寄り、媚びているようにさえ見える。「兄つぁまは、人が変わっちまった」八重が堰をきったように戊辰戦争で会津が受けた理不尽な仕打ちをこぼす。 覚馬は八重を黒谷の金戒光明寺につれていき、静かに胸中を語って聞かせる。容保の京都守護職就任以来、会津が京で受けてきた扱いの理不尽さ、視力を失い捕らわれの身となったふがいなさ、戦乱が会津へ向かっていくのをただ見ているしかなかったもどかしさ・・・覚馬も京で辛酸をなめて生きてきたのだ。 そして、今、ただ一つ覚馬の心の支えとなっているのが、獄中で書き上げた管見だ。牢の中で見えたもの ―― それは新しい日本の姿であった。薩摩でも、長州でも、会津でもない、あるのは日本の未来。新しい国を作るためなら、相手が誰だろうとかまわない・・・それが俺の戦いだ。そう言って覚馬は八重に管見の「国家は人材によるものなれば、婦女子にも男子と同じく学ばせるべき」という一文を八重に読ませ、熱く言葉を続ける。「お前ならわかるはずだ・・知恵が、知識が一番の武器になることを、お前ほど身を持って知る女はいねえ。」「学べ。新しい知識を。世界の文明を。これからは、学問が、お前の武器だ!会津が命かけたこの場所で、俺と共に戦ってくれ。」
八重は、見えなくなった覚馬の目が昔と変わらずに前を向き輝いていることを知り、胸を熱くする。
母の佐久もまた、覚馬がうらの着物まで用意し迎える準備をしていたことを知り「覚馬は昔と何と変わっちゃいない」と涙をこぼす。みねも、少しずつ父と時栄にうちとけ、皆と揃って朝餉の席につくようになる。
そんなある日、覚馬のもとに、西郷が訪ねてくる。新政府の仕事で京を引き払うにあたり、広大な薩摩藩邸を、覚馬に託したいという。内部対立や、汚職にまみれた新政府の人間でなく、真に国づくりの志を持つ人間に託したいと、西郷は考えていたのだ。
時同じくして、岩倉をはじめとした使節団がアメリカを訪れていた。通訳を務めるのは新島襄で、使節団の一行の中には、日本初の女性留学生の一人となった山川咲(捨松)の姿もあった。咲は、母の艶に「一度捨てたつもりで帰る身を待つ(松)」という覚悟をこめて、捨松、と命名されたのだった。女子教育の必要性は、かねてから覚馬が訴えてきたことである。
「学ばねば、勝てねえな」八重もまた、覚馬の片腕となるべく、昼は女学生に機織りを教えながら自らも英語を学び、夜は寮に泊まり込み寄宿生を世話する女紅場での生活を決心する。そして翌春、八重は、桜吹雪のなか、輝く目をして 未来にむけ新しい一歩を踏み出すのであった。
・・・ということで、次回は第33話「尚之助との再会」です。
第32話ぷち・ギャラリー
父上、三郎・・・9年ぶりに一緒にみなで暮らせることになりやした

力を合わせて生きてまいりやす。ご安心ください
覚馬の手の平に新しい言葉(文字)を書いて教わる八重

わがんねぇ・・・砲術のものとは勝手が違う

・・・いかん!子供でもわかんだから、できねぇはずがねぇ!
<京都府庁に覚馬を背負っていく八重>
万国公法の宿題だ 八重、言ってみろ国の主権は何に使う?「国同士の和平、戦、交際・・・」

「フン、賊軍が何の用じゃ」「会津もんが、偉そうに!」 聞こえてくる嘲り
<9年間の空白>
兄つぁまはわかってのんがし?あねさまがなじょな思い出みねと別れたか・・・

兄つぁまは人が違ったみてぇだ・・・長州のもんと笑って話して、手下になっで・・・平気なのがし!?
赤い櫛を見つめ、母・うらを思うみね

寂しいやろな・・おっかさんと離れて・・・私、どないしたらええんやろ

みねさん、かんにん・・・かんにんえ
<これからの戦い>
女学・・・国家を治るは人材によるものなれば、今より以後男子と同じく学ばすべし??

この一条を俺に書かせたのは、八重だ・・いつだって諦めず、立ち向かって学び続けた
にしならわかるはずだ・・知恵が、知識が一番の武器になることを

にしほど身を以て知る女はいねぇ!
学べ! 新しい知識を、世界の文明を・・・これからは学問がおまえの武器だ!

会津が命をかけたこの場所で、俺と戦ってくれ!
<通い合う思い>
みねに、うらの赤い櫛をさしてやる覚馬

大切にもっていろ

はい。
<訪ねてきた西郷>
「京都の来たとは薩摩藩邸を始末するためじゃ。おはん、買わんな?」

覚馬「2年わだすがお世話んなったあの屋敷ですか?」「新しかこつを始めっとに場所もいるじゃろ」
八重「学ばねば・・・・勝てねぇな」

覚馬「いってこい!」八重「おっかさまとみね、それか兄つぁまのことよろしくお願いすっから」
時栄「まかしておくれやす」「んだら、いってくっからなし」

いってきなんしょ! 新しい未来へ向かって歩きはじめる八重
<アメリカで顔を合わせた咲と襄>
「捨松?変わった名前ですね。フフ、でも僕の名前も変わっていて・・・

上に女ばかり4人いて5人目でやっと男の僕が生まれ 祖父がしめた!と叫んだので新島七五三太(しめた)。
<ちょっとだけ予告編 33話「尚之助との再会」 涙>

こんなに愛し合ってるふたりなのに・・・

ああ、もうダメぽ
泣いてしまふ・・・
八重の桜、こんなところが好き!感想
「あんつぁまは、薩摩や長州が、憎くはねぇのですか?
城に2千発の砲弾を撃ち込まれんのがなじょなもんか、あんつぁまはわかってねえ!
あのとき、お城にいなかったがら」
まだ会津を引きずっている八重と、明治にすでに切り変えている覚馬、今回はその距離感を縮める小さな戦いを描いていた気がします。
もちろん軍配は覚馬にあったわけですが ―― 彼も冷徹になりましたね。
生きるため、目的のために、無駄な部分は そぎ取ったというか・・・不条理への怒りとか、昔の熱血さは微塵も感じられません。
それでも「会津を捨石にした今の政府は間違っている」の、静かな怒気に背筋がぞくっとなりました。いわれのない侮辱に対して、いまの八重のように丸出しにしていた感情を、幾重にもオブラートにつつんで、発酵熟成させたその中身は、復讐なのか、希望なのか・・・いずれにせよ「俺の戦」であることは間違いなさそうです。
仇を討つならこの覚馬のやり方のほうが筋は通るし、効果的でしょう。
しかし、槇村の町衆への傲慢不遜な態度と下品さには閉口しました。
理路整然と鮮やかに説得をする覚馬をと対比させ、兄を誇りに思わせる戦略かもしれませんが、なんで槇村をああまで下品に描くのか・・・ひょっとして、これも、静かなる覚馬の戦いの未来への布石なのかも?なんて思ってしまう。
ある意味、昔よりずっと恐ろしさを含んでいる覚馬・・・
何故か心に引っ掛かるのは、覚馬が使った「捨て石」という言葉。
気持ちの良い語感ではないけれど、決して悪い意味ではないんですね。
囲碁用語から転じて「今は無駄なように見えるが、将来の利益を期待して行う投資や行為のこと」で、覚馬もまた、捨て石だったのかもしれない。
自分が捨て石になりきることで、岩倉や槇村の期待に応えながら、その実うまく利用しているような・・・すごく含蓄のある深い言葉選びに感動しました。
捨松、もそうですね。
捨てているのに待つ、だなんて、この愛のパラドックスは、日本人でなければ理解しえない一厘があるように思えます。
また今回は、あんつぁまの苦しみ、うらへの思い、きちんと描かれていました。
泣けました。
おばばさまが、一役買ったようにも思いますが、さすがはあの覚馬をして、「自分はとうてい母の聡明さには及ばない」と言わしめた賢母です。
「みねのことは時栄にまかせろ」
時栄を 家の女あるじとしてしっかり立場を確保してやりながら、八重のプライドをくすぐり、信頼感を示す。そして八重にしか出来ない役割を与える。
「お前ならわかるはずだ・・知識が一番の武器になることを、お前ほど身を持って知る女はいねえ。」
こんな殺し文句みたいな台詞を言われたら、誰だって逆らえない。
覚馬は知能犯ですね。(笑)
目が見えなくなった分、人の心を読む第三の目が開いてしまったような・・・
とりわけ、西郷どんとのやりとりは、覚馬の聡明さが伝わるシーンでした。
権力抗争を繰り広げている新政府の旧藩派閥でなく、
「おはんなら、あん土地、世のために役立ててくれっじゃろ」寛大すぎる西郷どんですが、
じっさい、覚馬が譲り受けたその広大な土地は、後に新島襄の同志社大学になるのですから「なにごとも巡り合わせだべ」という佐久のなにげない台詞が今回のもうひとつのテーマだった気がします。
そして、西郷の台詞や、米国での大久保、木戸との諍いから、勝ち組・薩長土佐の新政府も一枚岩ではないのがわかる会話でした。
まさしく、これからが覚馬・八重の出番ですね。
会津が命かけたこの場所から、違う武器で勝負をかける――新政府が見捨てた町に文明の町を作る・・・その見取り図が会津の人から出てきたのは本当に驚異です。
これから、学問を武器に、ハンサムウーマン八重が、明治をかけぬけます。
八重の桜
あ
ら
かるとⅠ 時代を先駆ける八重①
会津戦争でスペンサー銃を担ぎ鉄砲隊を率いて男顔負けに戦った八重。戦火の中を生き抜き、京都であらたな生き方を模索していきます。銃を捨て、ペンを持ち、学問という武器で生きて行く八重・・・しかし、ときは武家社会の因習を色濃く残した明治、男性社会の中で社会進出する女性のための風穴をあけようとする八重の生涯は「戦いの日々」であったと同時に、新時代を生きる女性の「さきがけ」となるものでした。

明治4(1871)年、京都に移り住んだ八重は翌年に兄の推挙で「新英学校女紅場(にょこうば)」の教師となりました。この学校は、英語を教える英学校と女性の手仕事や礼儀作法を教える女紅場の二部門に分かれていました。八重は学校の舎監を務める一方、女紅場(にょこうば)で機織りや裁縫、小笠原流礼法などを教えました。八重は、正規の学校教育は受けていなくとも、母や会津の地域社会を通して、これらを習得していたのがすごいです。さらにすごいことには、向学心の強い八重は、自身もこの学校で生徒として英語を学んだこと。八重の語学を吸収するスピードもすさまじく、ドラマでも語られていた明治4年の京都博覧会で配布する「京都案内記」も、彼女が翻訳を行い、覚馬が製作していますが、これも前代未聞のことでした。当時、日本で英語を教える学校は少なく、女紅場は時代の最先端をいく施設でした。そこで公務員として職を得て、月給を受け取っていた八重は、日本でも最初期のキャリアウーマンだったのです。
これらの経験が、のちに新島襄と結婚し、同志社女学校を設立する際に、大きな力になっていくのですね。

八重が創立に尽力した同志社女学校と直筆の英文の手紙
八重の桜
あ
ら
かるとⅡ 管見&進化し続ける覚馬
「鳥羽・伏見の戦い」で薩摩藩に捕えられ、幽閉中に新国家の青写真を描いた「管見」。新政府に建白されると岩倉具視や西郷隆盛に高く評価された覚馬。釈放後は、廃れかけていた京都の府政を指導し日本で最初の小学校や科学研究所の設立に貢献、新島襄に薩摩から譲られた敷地を譲渡し、同志社英学校設立を助け、京都の近代化に尽くしていきます。
目は完全に失明したというのに、水を得た魚のように自在に課題の答えを導き出していくその姿は、まさに「進化する覚馬」ですね。

会津戦争では何も出来なかった筈の覚馬。驚嘆すべきは、獄中にあって彼の精神性はさらに高い次元にのぼっていた、ということ。それまで覚馬を覚馬たらしめていた壮健な体を失うことで、彼の新しい国づくりへの思いは、むしろ研ぎ澄まされていくかのように見えます。
覚馬は、会津から日本全体へと視野を広げ、薩摩や長州が倒幕を実現しうる力を備えていることも把握していました。「禁門の変」の経験から、戦によって犠牲になるのは民衆だということも知っています。だからこそ、戦火が会津に移るのを何とか防ぎたいと願っただろうし、そうなったときの結末を予測できたでしょう。
覚馬演じる西島秀俊さんは、台本を読んいて、胸が痛む事ばかりだった、と語っています。「何気ない会話も風景も、ドラマの半分から伏線がしかれていたんだ・・・」と、今になって気付くことがたくさんある、と。
覚馬のすごさは、そうしてすべてを予見しながら、絶望することなく新国家の見取り図となる『管見』をまとめたことです。つまり、すでに”再生”について考え始めていた。牢の中で・・・。これはすごいことですね。
そして、廃れつつあった京の産業振興や学校設立のため薩摩や長州の要人らとも協力をし合ったこと。かつて敵対関係にあった人にも、「この人材を生かさないのは惜しい」と思わせる魅力が必ずやあったのでしょうね。
女性関係に関しては最近何かと物議を醸している覚馬ですが、ここだけはブレない点。
「私」ではなく「公」の精神を持って遠い未来を見すえ、行動し、会津魂に根差した教育への情熱は誰より強かった覚馬。彼は、これからも進化し続けていくようですね。
キャスティング❤今日のフィーチャー 山川咲;水原希子さん
山川捨松(すてまつ)役の水原希子さんが、いよいよ今回から登場ですね。この間までおくるみに抱かれた赤ん坊だったのに、籠城戦では元気な少女になっていて、さらにはもう立派な”小さな淑女:Lady”になっていた咲(さき)。山川浩(大蔵)の妹であり、のちに意外な人の妻となる捨松。幼くして会津戦争を経験した彼女は、岩倉具視の使節団に加わりアメリカへ…。世界に飛び出した捨松が見たものとは何だったのでしょう。
母・艶に抱かれた末子の咲

(右は兄・健次郎。維新後、共にアメリカに留学)
捨松を演じる、水原希子(みずはら きこ)さん
1990年生まれ。アメリカ合衆国出身。2003年ファッション誌でモデルデビュー。2010,映画「ノルウェイの森」で女優デビュー。他にも「ヘルタースケーター」「I'M FLASH」などの映画に出演。テレビドラマは今回が初めて。

<山川咲;のちの大山捨松・ちょっとネタバレ紹介>
幼くして家族と共に籠城戦を経験。12歳のときに、のちに女性教育の先駆者となる津田梅子らと日本初の女子留学生として、岩倉使節団に加わり渡米。ことのき母の艶は、咲という幼名を「一度捨てたつもりで帰国を待つ(松)」という思いを込めて、「捨松」と改名するのです。帰国後、捨松は会津の仇敵である薩摩の陸軍軍人。大山巌と結婚し、何かと物議を醸したようです。美貌と知性をあわせ持ち、鹿鳴館時代の社交界で「鹿鳴館の華」と讃えられました。津田塾大学の前身・女子英学塾の支援など、女子教育や近代看護教育の普及に力を注ぎました。
可愛い末の娘を12才で海外に出す時、母の艶はどんな気持ちだったでしょう。名前も奇麗な「咲」から「捨松」に改名するなんて・・・娘の将来を思い 涙で決断した母の気持ちがつまった名前ですね。
時代のさきがけ・八重と覚馬を育てた母、佐久のこと
「八重の桜」ですっかりおなじみの山本家のお母さんですが、”会津の母”を思う時、偉大な佐久お母さんを語らずして、八重や覚馬を語れない気がして、今回あらためてフィーチャー。

会津藩では、「忠孝」を重んじる儒教精神に根差した「日新館童子訓」を男子の教育の指針としていましたが、八重は女子でありながらこれを幼い頃に暗記し、晩年まで暗唱できたといいます。この童子訓を子守唄代わりに聞かせていたのが、母・佐久でした。
八重の兄・覚馬は、「自分はとうてい母の聡明さには及ばない」と語っています。ドラマでもご存じの通り、佐久は会津で天然痘が流行したときも、いち早く種痘の必要性を説くなど、先見の明の持ち主でした。後に同志社女学校の舎監として、八重を支えた佐久は、会津魂と進種の気性をあわせ持つ八重の人格形成に強い影響を与えたといえましょう。
ふりかえれば、会津には 凛として個性豊かな才女が沢山いましたね。八重、中野竹子、大山捨松、若松賤子、野口シカさん・・・と、枚挙にいとまがありません。
有能な人材が育つ会津の強さは、母の賢さ強さゆえではないかと、常々ドラマを見ながら感じてきました。
目が見えずとも、心の眼を見開き国家のあり方を示した覚馬を育てた山本家の佐久。山川家の母・艶に至っては7人の子供に男女へだてなく文武両の教育を授け、この時代に幼い子供たち数人を海外留学に出しているのですから、その判断力たるや、驚嘆せずにいられません。
賊軍と呼ばれた負け組の会津にあって、新時代の日本教育界を担う優秀な子供達をそのように育てたのもやはり母の力ですから、会津の母達は歌に出てくる”宝の山”のようですね。
この母達にしてこの子らあり・・・会津には、知と勇を持った女性が育つ土壌が確かにあったのでしょう。この母の力こそ磐梯力ではないかと、思わずにいられません。
「八重の桜」各話あらすじ&感想
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❤最後まで読んでくれてありがとう❤

進化する八重たんより 同志社大・京都新島邸にて
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八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA
第32話あらすじ
京都の覚馬(西島秀俊)の家に暮らすようになった八重(綾瀬はるか)と佐久(風吹ジュン)、みね(池田沙弥花)。3人は同居後初めての朝を迎え、八重は台所を手伝おうとするが、覚馬の後妻・時栄(谷村美月)が朝餉も覚馬の支度もすでに整え、八重の入る隙は無かった。時栄はまた よく気が利いて、長旅の八重たちをいたわる思いやりがあふれていた。だが、時栄のために共に苦労を重ねてきたうらが身を引いたと思うと、八重はすんなりと素直にはなれない。みねも、母・うら(長谷川京子)のことが忘れられず納戸にこもってしまう。みねの後を追おうとした八重を、覚馬は厳しく制止し、みねのことは時栄に任せるよう言い放つ。
その日覚馬は八重を伴って京都府の実権を握る権大参事(ごんのだいさんじ)、槇村正直に面会に行く。槇村は、八重にすれば傲慢な感じの男だが、覚馬のことは「先生」と呼んで頼りにしている様子だ。そこに 乱れた足音がしたと思えば、京の商人衆がものものしく駆けこんでくる。商人達は、槇村が企画する博覧会の為に、異国人に京を荒らされ、端午の節句まで潰されたら、人形商も織物屋も商売あがったりだと訴える。すると槇村は頭ごなしに「今更攘夷でもあるまい、旧弊な祭りなどやっていたら西洋列強になめられる」と商人達を追い出そうとする。そこで覚馬が口を開き、日本で売れる人形の数はたかが知れているが、買い手を世界中に広げたら、万両もの商いが何千万両と増える・・・博覧会に異国人を呼ぶのはそのためで、お前たちの利益が国を豊かにするのだ、と説く。「儲かる道は必ず作る!」覚馬の言葉に、必死な形相をしていた商人達もホクホク顔で頭を下げ、戻っていくのを、お見事!と拍手で称賛する槇村。
八重は、槇村が長州出身と知って驚くと同時に、こみ上げてくる怒りを抑えられない。会津が長州にどんな目に遭わされたか。それなのに兄の覚馬は、槇村にすり寄り、媚びているようにさえ見える。「兄つぁまは、人が変わっちまった」八重が堰をきったように戊辰戦争で会津が受けた理不尽な仕打ちをこぼす。 覚馬は八重を黒谷の金戒光明寺につれていき、静かに胸中を語って聞かせる。容保の京都守護職就任以来、会津が京で受けてきた扱いの理不尽さ、視力を失い捕らわれの身となったふがいなさ、戦乱が会津へ向かっていくのをただ見ているしかなかったもどかしさ・・・覚馬も京で辛酸をなめて生きてきたのだ。 そして、今、ただ一つ覚馬の心の支えとなっているのが、獄中で書き上げた管見だ。牢の中で見えたもの ―― それは新しい日本の姿であった。薩摩でも、長州でも、会津でもない、あるのは日本の未来。新しい国を作るためなら、相手が誰だろうとかまわない・・・それが俺の戦いだ。そう言って覚馬は八重に管見の「国家は人材によるものなれば、婦女子にも男子と同じく学ばせるべき」という一文を八重に読ませ、熱く言葉を続ける。「お前ならわかるはずだ・・知恵が、知識が一番の武器になることを、お前ほど身を持って知る女はいねえ。」「学べ。新しい知識を。世界の文明を。これからは、学問が、お前の武器だ!会津が命かけたこの場所で、俺と共に戦ってくれ。」
八重は、見えなくなった覚馬の目が昔と変わらずに前を向き輝いていることを知り、胸を熱くする。
母の佐久もまた、覚馬がうらの着物まで用意し迎える準備をしていたことを知り「覚馬は昔と何と変わっちゃいない」と涙をこぼす。みねも、少しずつ父と時栄にうちとけ、皆と揃って朝餉の席につくようになる。
そんなある日、覚馬のもとに、西郷が訪ねてくる。新政府の仕事で京を引き払うにあたり、広大な薩摩藩邸を、覚馬に託したいという。内部対立や、汚職にまみれた新政府の人間でなく、真に国づくりの志を持つ人間に託したいと、西郷は考えていたのだ。
時同じくして、岩倉をはじめとした使節団がアメリカを訪れていた。通訳を務めるのは新島襄で、使節団の一行の中には、日本初の女性留学生の一人となった山川咲(捨松)の姿もあった。咲は、母の艶に「一度捨てたつもりで帰る身を待つ(松)」という覚悟をこめて、捨松、と命名されたのだった。女子教育の必要性は、かねてから覚馬が訴えてきたことである。
「学ばねば、勝てねえな」八重もまた、覚馬の片腕となるべく、昼は女学生に機織りを教えながら自らも英語を学び、夜は寮に泊まり込み寄宿生を世話する女紅場での生活を決心する。そして翌春、八重は、桜吹雪のなか、輝く目をして 未来にむけ新しい一歩を踏み出すのであった。
・・・ということで、次回は第33話「尚之助との再会」です。
第32話ぷち・ギャラリー
父上、三郎・・・9年ぶりに一緒にみなで暮らせることになりやした

力を合わせて生きてまいりやす。ご安心ください
覚馬の手の平に新しい言葉(文字)を書いて教わる八重

わがんねぇ・・・砲術のものとは勝手が違う

・・・いかん!子供でもわかんだから、できねぇはずがねぇ!
<京都府庁に覚馬を背負っていく八重>
万国公法の宿題だ 八重、言ってみろ国の主権は何に使う?「国同士の和平、戦、交際・・・」

「フン、賊軍が何の用じゃ」「会津もんが、偉そうに!」 聞こえてくる嘲り
<9年間の空白>
兄つぁまはわかってのんがし?あねさまがなじょな思い出みねと別れたか・・・

兄つぁまは人が違ったみてぇだ・・・長州のもんと笑って話して、手下になっで・・・平気なのがし!?
赤い櫛を見つめ、母・うらを思うみね

寂しいやろな・・おっかさんと離れて・・・私、どないしたらええんやろ

みねさん、かんにん・・・かんにんえ
<これからの戦い>
女学・・・国家を治るは人材によるものなれば、今より以後男子と同じく学ばすべし??

この一条を俺に書かせたのは、八重だ・・いつだって諦めず、立ち向かって学び続けた
にしならわかるはずだ・・知恵が、知識が一番の武器になることを

にしほど身を以て知る女はいねぇ!
学べ! 新しい知識を、世界の文明を・・・これからは学問がおまえの武器だ!

会津が命をかけたこの場所で、俺と戦ってくれ!
<通い合う思い>
みねに、うらの赤い櫛をさしてやる覚馬

大切にもっていろ

はい。
<訪ねてきた西郷>
「京都の来たとは薩摩藩邸を始末するためじゃ。おはん、買わんな?」

覚馬「2年わだすがお世話んなったあの屋敷ですか?」「新しかこつを始めっとに場所もいるじゃろ」
八重「学ばねば・・・・勝てねぇな」

覚馬「いってこい!」八重「おっかさまとみね、それか兄つぁまのことよろしくお願いすっから」
時栄「まかしておくれやす」「んだら、いってくっからなし」

いってきなんしょ! 新しい未来へ向かって歩きはじめる八重
<アメリカで顔を合わせた咲と襄>
「捨松?変わった名前ですね。フフ、でも僕の名前も変わっていて・・・

上に女ばかり4人いて5人目でやっと男の僕が生まれ 祖父がしめた!と叫んだので新島七五三太(しめた)。
<ちょっとだけ予告編 33話「尚之助との再会」 涙>

こんなに愛し合ってるふたりなのに・・・

ああ、もうダメぽ

八重の桜、こんなところが好き!感想
「あんつぁまは、薩摩や長州が、憎くはねぇのですか?
城に2千発の砲弾を撃ち込まれんのがなじょなもんか、あんつぁまはわかってねえ!
あのとき、お城にいなかったがら」
まだ会津を引きずっている八重と、明治にすでに切り変えている覚馬、今回はその距離感を縮める小さな戦いを描いていた気がします。
もちろん軍配は覚馬にあったわけですが ―― 彼も冷徹になりましたね。
生きるため、目的のために、無駄な部分は そぎ取ったというか・・・不条理への怒りとか、昔の熱血さは微塵も感じられません。
それでも「会津を捨石にした今の政府は間違っている」の、静かな怒気に背筋がぞくっとなりました。いわれのない侮辱に対して、いまの八重のように丸出しにしていた感情を、幾重にもオブラートにつつんで、発酵熟成させたその中身は、復讐なのか、希望なのか・・・いずれにせよ「俺の戦」であることは間違いなさそうです。
仇を討つならこの覚馬のやり方のほうが筋は通るし、効果的でしょう。
しかし、槇村の町衆への傲慢不遜な態度と下品さには閉口しました。
理路整然と鮮やかに説得をする覚馬をと対比させ、兄を誇りに思わせる戦略かもしれませんが、なんで槇村をああまで下品に描くのか・・・ひょっとして、これも、静かなる覚馬の戦いの未来への布石なのかも?なんて思ってしまう。
ある意味、昔よりずっと恐ろしさを含んでいる覚馬・・・
何故か心に引っ掛かるのは、覚馬が使った「捨て石」という言葉。
気持ちの良い語感ではないけれど、決して悪い意味ではないんですね。
囲碁用語から転じて「今は無駄なように見えるが、将来の利益を期待して行う投資や行為のこと」で、覚馬もまた、捨て石だったのかもしれない。
自分が捨て石になりきることで、岩倉や槇村の期待に応えながら、その実うまく利用しているような・・・すごく含蓄のある深い言葉選びに感動しました。
捨松、もそうですね。
捨てているのに待つ、だなんて、この愛のパラドックスは、日本人でなければ理解しえない一厘があるように思えます。
また今回は、あんつぁまの苦しみ、うらへの思い、きちんと描かれていました。
泣けました。
おばばさまが、一役買ったようにも思いますが、さすがはあの覚馬をして、「自分はとうてい母の聡明さには及ばない」と言わしめた賢母です。
「みねのことは時栄にまかせろ」
時栄を 家の女あるじとしてしっかり立場を確保してやりながら、八重のプライドをくすぐり、信頼感を示す。そして八重にしか出来ない役割を与える。
「お前ならわかるはずだ・・知識が一番の武器になることを、お前ほど身を持って知る女はいねえ。」
こんな殺し文句みたいな台詞を言われたら、誰だって逆らえない。
覚馬は知能犯ですね。(笑)
目が見えなくなった分、人の心を読む第三の目が開いてしまったような・・・
とりわけ、西郷どんとのやりとりは、覚馬の聡明さが伝わるシーンでした。
権力抗争を繰り広げている新政府の旧藩派閥でなく、
「おはんなら、あん土地、世のために役立ててくれっじゃろ」寛大すぎる西郷どんですが、
じっさい、覚馬が譲り受けたその広大な土地は、後に新島襄の同志社大学になるのですから「なにごとも巡り合わせだべ」という佐久のなにげない台詞が今回のもうひとつのテーマだった気がします。
そして、西郷の台詞や、米国での大久保、木戸との諍いから、勝ち組・薩長土佐の新政府も一枚岩ではないのがわかる会話でした。
まさしく、これからが覚馬・八重の出番ですね。
会津が命かけたこの場所から、違う武器で勝負をかける――新政府が見捨てた町に文明の町を作る・・・その見取り図が会津の人から出てきたのは本当に驚異です。
これから、学問を武器に、ハンサムウーマン八重が、明治をかけぬけます。
八重の桜



会津戦争でスペンサー銃を担ぎ鉄砲隊を率いて男顔負けに戦った八重。戦火の中を生き抜き、京都であらたな生き方を模索していきます。銃を捨て、ペンを持ち、学問という武器で生きて行く八重・・・しかし、ときは武家社会の因習を色濃く残した明治、男性社会の中で社会進出する女性のための風穴をあけようとする八重の生涯は「戦いの日々」であったと同時に、新時代を生きる女性の「さきがけ」となるものでした。

明治4(1871)年、京都に移り住んだ八重は翌年に兄の推挙で「新英学校女紅場(にょこうば)」の教師となりました。この学校は、英語を教える英学校と女性の手仕事や礼儀作法を教える女紅場の二部門に分かれていました。八重は学校の舎監を務める一方、女紅場(にょこうば)で機織りや裁縫、小笠原流礼法などを教えました。八重は、正規の学校教育は受けていなくとも、母や会津の地域社会を通して、これらを習得していたのがすごいです。さらにすごいことには、向学心の強い八重は、自身もこの学校で生徒として英語を学んだこと。八重の語学を吸収するスピードもすさまじく、ドラマでも語られていた明治4年の京都博覧会で配布する「京都案内記」も、彼女が翻訳を行い、覚馬が製作していますが、これも前代未聞のことでした。当時、日本で英語を教える学校は少なく、女紅場は時代の最先端をいく施設でした。そこで公務員として職を得て、月給を受け取っていた八重は、日本でも最初期のキャリアウーマンだったのです。
これらの経験が、のちに新島襄と結婚し、同志社女学校を設立する際に、大きな力になっていくのですね。

八重が創立に尽力した同志社女学校と直筆の英文の手紙
八重の桜



「鳥羽・伏見の戦い」で薩摩藩に捕えられ、幽閉中に新国家の青写真を描いた「管見」。新政府に建白されると岩倉具視や西郷隆盛に高く評価された覚馬。釈放後は、廃れかけていた京都の府政を指導し日本で最初の小学校や科学研究所の設立に貢献、新島襄に薩摩から譲られた敷地を譲渡し、同志社英学校設立を助け、京都の近代化に尽くしていきます。
目は完全に失明したというのに、水を得た魚のように自在に課題の答えを導き出していくその姿は、まさに「進化する覚馬」ですね。

会津戦争では何も出来なかった筈の覚馬。驚嘆すべきは、獄中にあって彼の精神性はさらに高い次元にのぼっていた、ということ。それまで覚馬を覚馬たらしめていた壮健な体を失うことで、彼の新しい国づくりへの思いは、むしろ研ぎ澄まされていくかのように見えます。
覚馬は、会津から日本全体へと視野を広げ、薩摩や長州が倒幕を実現しうる力を備えていることも把握していました。「禁門の変」の経験から、戦によって犠牲になるのは民衆だということも知っています。だからこそ、戦火が会津に移るのを何とか防ぎたいと願っただろうし、そうなったときの結末を予測できたでしょう。
覚馬演じる西島秀俊さんは、台本を読んいて、胸が痛む事ばかりだった、と語っています。「何気ない会話も風景も、ドラマの半分から伏線がしかれていたんだ・・・」と、今になって気付くことがたくさんある、と。
覚馬のすごさは、そうしてすべてを予見しながら、絶望することなく新国家の見取り図となる『管見』をまとめたことです。つまり、すでに”再生”について考え始めていた。牢の中で・・・。これはすごいことですね。
そして、廃れつつあった京の産業振興や学校設立のため薩摩や長州の要人らとも協力をし合ったこと。かつて敵対関係にあった人にも、「この人材を生かさないのは惜しい」と思わせる魅力が必ずやあったのでしょうね。
女性関係に関しては最近何かと物議を醸している覚馬ですが、ここだけはブレない点。
「私」ではなく「公」の精神を持って遠い未来を見すえ、行動し、会津魂に根差した教育への情熱は誰より強かった覚馬。彼は、これからも進化し続けていくようですね。
キャスティング❤今日のフィーチャー 山川咲;水原希子さん
山川捨松(すてまつ)役の水原希子さんが、いよいよ今回から登場ですね。この間までおくるみに抱かれた赤ん坊だったのに、籠城戦では元気な少女になっていて、さらにはもう立派な”小さな淑女:Lady”になっていた咲(さき)。山川浩(大蔵)の妹であり、のちに意外な人の妻となる捨松。幼くして会津戦争を経験した彼女は、岩倉具視の使節団に加わりアメリカへ…。世界に飛び出した捨松が見たものとは何だったのでしょう。
母・艶に抱かれた末子の咲

(右は兄・健次郎。維新後、共にアメリカに留学)
捨松を演じる、水原希子(みずはら きこ)さん
1990年生まれ。アメリカ合衆国出身。2003年ファッション誌でモデルデビュー。2010,映画「ノルウェイの森」で女優デビュー。他にも「ヘルタースケーター」「I'M FLASH」などの映画に出演。テレビドラマは今回が初めて。


<山川咲;のちの大山捨松・ちょっとネタバレ紹介>
幼くして家族と共に籠城戦を経験。12歳のときに、のちに女性教育の先駆者となる津田梅子らと日本初の女子留学生として、岩倉使節団に加わり渡米。ことのき母の艶は、咲という幼名を「一度捨てたつもりで帰国を待つ(松)」という思いを込めて、「捨松」と改名するのです。帰国後、捨松は会津の仇敵である薩摩の陸軍軍人。大山巌と結婚し、何かと物議を醸したようです。美貌と知性をあわせ持ち、鹿鳴館時代の社交界で「鹿鳴館の華」と讃えられました。津田塾大学の前身・女子英学塾の支援など、女子教育や近代看護教育の普及に力を注ぎました。
可愛い末の娘を12才で海外に出す時、母の艶はどんな気持ちだったでしょう。名前も奇麗な「咲」から「捨松」に改名するなんて・・・娘の将来を思い 涙で決断した母の気持ちがつまった名前ですね。
時代のさきがけ・八重と覚馬を育てた母、佐久のこと
「八重の桜」ですっかりおなじみの山本家のお母さんですが、”会津の母”を思う時、偉大な佐久お母さんを語らずして、八重や覚馬を語れない気がして、今回あらためてフィーチャー。


会津藩では、「忠孝」を重んじる儒教精神に根差した「日新館童子訓」を男子の教育の指針としていましたが、八重は女子でありながらこれを幼い頃に暗記し、晩年まで暗唱できたといいます。この童子訓を子守唄代わりに聞かせていたのが、母・佐久でした。
八重の兄・覚馬は、「自分はとうてい母の聡明さには及ばない」と語っています。ドラマでもご存じの通り、佐久は会津で天然痘が流行したときも、いち早く種痘の必要性を説くなど、先見の明の持ち主でした。後に同志社女学校の舎監として、八重を支えた佐久は、会津魂と進種の気性をあわせ持つ八重の人格形成に強い影響を与えたといえましょう。
ふりかえれば、会津には 凛として個性豊かな才女が沢山いましたね。八重、中野竹子、大山捨松、若松賤子、野口シカさん・・・と、枚挙にいとまがありません。
有能な人材が育つ会津の強さは、母の賢さ強さゆえではないかと、常々ドラマを見ながら感じてきました。
目が見えずとも、心の眼を見開き国家のあり方を示した覚馬を育てた山本家の佐久。山川家の母・艶に至っては7人の子供に男女へだてなく文武両の教育を授け、この時代に幼い子供たち数人を海外留学に出しているのですから、その判断力たるや、驚嘆せずにいられません。
賊軍と呼ばれた負け組の会津にあって、新時代の日本教育界を担う優秀な子供達をそのように育てたのもやはり母の力ですから、会津の母達は歌に出てくる”宝の山”のようですね。
この母達にしてこの子らあり・・・会津には、知と勇を持った女性が育つ土壌が確かにあったのでしょう。この母の力こそ磐梯力ではないかと、思わずにいられません。
「八重の桜」各話あらすじ&感想
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❤最後まで読んでくれてありがとう❤

進化する八重たんより 同志社大・京都新島邸にて
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- at 21:51
- [NHK大河ドラマ 八重の桜]
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kiraraさま
いつもありがとうございます。お盆休みで出かけていてレス遅くなりました。(ぺこりん)
kiraraさん本当に八重の桜お好きなんですね!
京編にっても、八重は戦士なんですね。
100年以上も前なのに、こんなにもエネルギッシュに時代をかけぬけた女性がいたなんて
嘘のようです。自分はまだまだ死んでるなぁ・・・と思います。
kiraraさんも熱中症には気をつけて、元気にお過ごし下さいね。